三五郎山遺跡 結語
第4章 結語
三五郎山遺跡出土の土器について近年各地における縄文時代中期の集落調査においては、遺構に帰属する出土土器の細分化を試みる報告が多くみられる。この作業は集落の変遷に時間軸を与えることになり有効と考えられる。三五郎山遺跡においてはこの報告書に記載した調査区に西接する地点が平成24年に調査され、総計13軒の住居跡が成果として蓄積されている。今後は対象を調査された全体の範囲に広げ、本格的な土器の分類作業を行う必要がある。
本章においては当報告書に記載された資料についてまずは大略的に捉え、今後の分析作業における覚書のひとつとしたい。
当報告書に記載した土器群については概ね加曾利EⅡ式に相当するものと考えられる。縄文時代中期土器群の編年は埼玉県埋蔵文化財調査事業団において細分化案がいくつか提示されている。ここではこれらを参考にして各住居跡の出土遺物を改めて見ていきたい。
1号住居跡出土土器群は比較的まとまった資料群であった。出土土器組成は口縁部文様帯と胴部文様帯間の頸部無文帯が喪失し連結する深鉢形土器が主体となる。また曾利Ⅱ式段階の深鉢形土器片による土器囲炉も構築されていた。
2号住居跡においては胴部文様帯における磨消懸垂文の描出が目立つ土器群が多い。連弧文土器も組成として見られるが文様描出が明確な弧状とならず波状を呈する。
3号住居跡では口縁部文様帯の渦巻文が崩れはじめ区画文との集約がみられる土器片が多く、連弧文土器の文様も連続したものとなってない。曾利Ⅱ式段階の土器片も多くみられた。
4号住居跡ではキャリパー系の深鉢形土器の口縁部文様帯に区画文が突出し、渦巻文が喪失しかけている資料が多い、また連弧文土器はモチーフが明確に描かれた個体を出土しており、粗い重孤文が施される曾利Ⅱ式段階の土器片も伴出する。
5号住居跡からは完全にモチーフが変形した連弧文土器が出土している。個体によっては文様の一端を縦位に変化させて描いている。併せて口縁部文様帯が喪失した深鉢形土器が検出されている。なお、頸部無文帯を有する土器が出土しているが、遺構の埋没過程における流れ込みと考えられる。
6号住居跡からは遺物の出土が少ないながらも、明確に弧状を呈する連弧文土器がみられた。
これらのことから、いずれの住居跡も加曾利EⅡ式を古、新の2細分するとした場合、概ね新段階としてとらえることができると考える。またその中で各遺構の土器の出土状態と集落の発生を合わせて考えると、6号住居跡、1、2、3号住居跡、4号住居跡、5号住居跡がそれぞれ集落の変遷のなかでグループとしてとらえることができるかもしれない。
ただし、今回報告書中で遺物の出土位置情報について提示することができなかった。各住居跡は近接して構築されていることもあり、遺構上の遺物の帰属に関してさらに明確にする作業が望まれる。その上で改めて集落の変遷と出土土器群のありかたについて明らかにすることができればと考える。
参考文献
谷井彪他 | 1982 | 「縄文中期土器群の再編」『研究紀要1982』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 |
金子直行他 | 1996 | 『大山遺跡 第9次』 埼玉県埋蔵文化財調査報告書第180集 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 |
細田勝他 | 1998 | 『宿東遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査報告書第197集 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 |