きたもと子ども漫画館(上巻) 社会1 >> きたもと子ども漫画館(上巻) 前ページ 次ページ 北本歴史きたもとれきし豆辞典まめじてん③北本きたもとの板碑いたび 板碑いたびというのは、中世ちゅうせいに造られた石いしの供養塔くようとうのことをいうんだ。材料ざいりょうとなったのは、秩父ちちぶや小川地方おがわちほうで採とれる緑泥片岩りょくでいへんがんという石いしで、埼玉さいたまを中心ちゅうしんに生うまれ全国ぜんこくに広ひろまっていったとされている。鎌倉時代かまくらじだいの武士ぶしによって始はじめられたこの板碑いたびづくりは、仏ほとけに対たいする信仰しんこうと死者ししゃへの供養くようを目的もくてきに行おこなわれて、室町時代むろまちじだいには庶民しょみんの間あいだにも広ひろまっていったんだよ。 北本市内きたもとしないでは現在げんざい360基余きよの板碑いたびが確認かくにんされているけれど、その中なかでも東光寺とうこうじにある「貞永じょうえい2年銘板碑ねんめいいたび」は、県内けんないで4番目ばんめに古ふるいものとして県けんの文化財ぶんかざいに指定していされているもの。写真しゃしんを見みればわかるように、板碑いたびにはこれと同おなじような経文きょうもんや梵字ぼんじ(サンスクリット文字もじ)が書かかれて仏像ぶつぞうが刻きざまれ、全体ぜんたいが仏教色ぶっきょうしょくの濃こいものとなっているんだ。 伝承範頼石塔でんしょうのりよりせきとうと板碑群いたびぐん(東光寺とうこうじ) 朝日地区あさひちくの光蔵寺こうぞうじにある板碑いたびは、”正平しょうへい”という年号ねんごうが使つかわれていることで注目ちゅうもくできるものだね。この板碑いたびが造つられた当時とうじは、足利尊氏あしかがたかうじが活躍かつやくした頃ころで、尊氏たかうじは弟直義おとうとただよしとの内乱ないらんを鎮しずめるために一時的いちじてきに敵方てきがたであった南朝なんちょうと和睦わぼくして、その時南朝ときなんちょうが使つかっていた年号ねんごう「正平しょうへい」を取とり入いれたんだ。このことから足立郡内あだちぐんないでも一部いちぶの武士ぶしが、足利尊氏側あしかがたかうじがわとして活躍かつやくしていたことがわかるよね。板碑いたびは、造つくられた当時とうじの歴史れきしを物語ものがたる証人しょうにんでもあるんだ。 10年単位板碑造粒表ねんたんいいたびぞうりゅうひょう 前ページ 次ページ