きたもと子ども漫画館(上巻)

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北本歴史きたもとれきし
豆辞典まめじてん
北本きたもとみち


マンガのなか紹介しょうかいした中山道なかせんどうは、江戸時代えどじだいはいってから整備せいびされた街道かいどうだけど、北本市域きたもとしいきには中世ちゅうせいからとおっていた古道こどうとして「鎌倉街道かまくらかいどう」「岩槻道いわつきどう」などのみちがすでに主要道しゅようどうとしてあったんだ。これらは、鎌倉時代かまくらじだいから戦国時代せんごくじだいにかけてたたかいや人々ひとびと往来おうらいのために使つかわれ、とくに石戸城いしとじょう松山城まつやまじょう岩付城いわつきじょうという3つのふか関係かんけいにあったしろむす伝馬てんまみちとして発展はってんしていったようだね。しかし、江戸時代えどじだいに入って、政治せいじ中心ちゅうしん江戸えどうつり、中山道なかせんどうをはじめとする五街道ごかいどう整備せいびされると、これらの戦国せんごくみちはやがて、地域ちいきひとたちが利用りようする生活せいかつみちへとわっていったんだ。
また、江戸時代えどじだいには中山道なかせんどう脇道わきみちとして、菖蒲しょうぶ騎西きさいへのみち吉見よしみへのみち川越かわごえへのみち岩槻いわつきへのみちなどが枝分えだわかれしていったんだよ。脇道わきみち幹線道路かんせんどうろくらべると交通量こうつうりょうすくなく、庶民しょみんは、寺社じしゃへのおまいりや河岸場かしばへの交通路こうつうろいえはたけむすみちなど生活せいかつ密着みっちゃくしたみちとして利用りようしたんだ。この脇道わきみち維持いじ管理かんりは、所有者しょゆうしゃである領主りょうしゅよりもその村々むらむらおこなわれたことがおおかったようだね。

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