きたもと子ども漫画館(上巻)

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北本歴史きたもとれきし
豆辞典まめじてん
高尾河岸たかおがし繁栄はんえい


マンガのなか紹介しょうかいしたように、高尾河岸たかおがし年貢米ねんぐまいなどを江戸えどはこ河岸かしとしておおいに繁栄はんえいしたんだ。した高尾河岸たかおがしあつまる年貢ねんぐ収穫地しゅうかくち(□)をしめしたものだけど、かなりひろ範囲はんいから年貢ねんぐあつまってていたことがわかるよね。高尾たかお鎌倉街道かまくらかいどう中山道なかせんどう岩槻いわつき松山まつやま岩槻松山往還いわつきまつやまおうかん)をむすみちちかくをとおり、交通こうつう便べんがとてもいためこのように繁栄はんえいしたんだね。
ところで舟運しゅううんふねというとててすす高瀬舟たかせぶねがよく知られているけれど、実際じっさいにはずいぶんといといろな種類しゅるいふね使つかわれていたようだ。一艘いっそう荷物にもつりょうは、がりくねっていて、小型こがたふね中心ちゅうしん新河岸川しんがしがわでは米俵こめだわらで200~300たわら荒川あらかわでは500ぴょう。さらに大型船おおがたせん航行こうこうする利根川筋とねがわすじでは1000俵前後ぴょうぜんごだったといわれているよ。
当時とうじ忍藩おしはん年貢米ねんぐまいはこぶときは、しゅまるめぬいたはんはたてて運搬うんぱんしたそうだ。高尾たかお船問屋ふなどんや田島家たじまけには、現在げんざいもこのはたながさ15メートルの帆柱ほばしら・いかりがのこされているんだ。
高尾河岸たかおがしにおける廻米かいまいについて~「埼玉地方史第さいたまちほうしだい20ごう加藤浩かとうひろしより

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