きたもと子ども漫画館(上巻)
社会1 >> きたもと子ども漫画館(上巻)
北本歴史
豆辞典
⑦
高尾河岸の繁栄
マンガの
中で
紹介したように、
高尾河岸は
年貢米などを
江戸へ
運ぶ
河岸として
大いに
繁栄したんだ。
下の
図は
高尾河岸に
集まる
年貢の
収穫地(□)を
示したものだけど、かなり
広い
範囲から
年貢が
集まって
来ていたことがわかるよね。
高尾は
鎌倉街道・
中山道・
岩槻と
松山(
岩槻松山往還)を
結ぶ
道が
近くを
通り、
交通の
便がとても
良いためこのように
繁栄したんだね。
ところで
舟運の
船というと
帆を
立てて
進む
高瀬舟がよく知
られているけれど、
実際にはずいぶんといといろな
種類の
船が
使われていたようだ。
一艘に
積む
荷物の
量は、
曲がりくねっていて、小型
の
船が
中心の
新河岸川では
米俵で200~300
俵、
荒川では500
俵。さらに
大型船が
航行する
利根川筋では1000
俵前後だったといわれているよ。
当時、
忍藩の
年貢米を
運ぶときは、
朱の
丸を
染めぬいた
藩の
旗を
立てて
運搬したそうだ。
高尾の
船問屋・
田島家には、
現在もこの
旗と
長さ15メートルの
帆柱・いかりが
残されているんだ。
高尾河岸における
廻米について~「
埼玉地方史第20
号」
加藤浩より
<< 前のページに戻る
↑