北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第3節 台地の恵み

縄文海進と貝塚と動物遺存体
水が私たちを含む生き物の生命を保つのに欠かせないのは、生命の源が海にあるからだろうか。地球上の水の総量は常に一定であり、現在そのうちの九七パーセントは海水が占めている。残りの三パーセント近くが陸にたまっている水や雪や氷である。川や湖の水、大気中の水蒸気はあわせてもーパーセントにもならない。高山にも万年雪はあるが、大半は南極と北極の雪と氷である。総量のたったニパーセント強しか占めていない極地の氷だけれど、陸上にとどまっているか、溶けて海にそそぎ込むかはきわめて重大なことである。第一章で触れたように、氷河期というとてつもなく寒いときは、水が氷と言う形で地上に固定され、海水準(かいすいじゅん)は低くなる。大宮台地の周囲はグランドキャニオン(アメリカアリゾナ州北西部のコロラド川の大渓谷)のような景観となっていたのである。晩氷期に気温が上がりはじめると、氷が溶け、海水準が上がっていき、間氷期(かんぴょうき)である沖積世には加速度的に海水準が上がったのである。

図13 縄文海進図

縄文時代早期の末から前期中葉にかけて、現東京湾が埼玉県域にまで奥深く湾入してきたのである。縄文最初の大きな海進なので「縄文海進(じょうもんかいしん)」といったり、東京都丸の内の地下から有楽町貝層が報告されて、<有楽町海進>と言ったりしている。大宮台地の周囲に湾入した海を「奥東京湾」と言う。今日、地球規模での温暖化に警鐘(けいしょう)が鳴らされているが、まさに奥東京湾が再来することとなり、低地帯はすべて水没してしまうからなのである。

写真8 貝塚から出土する貝類(大宮市遺跡調査会提供)

1ハイガイ 2マガキ 3ハマグリ 4オオノガイ 5ニナ 6オキシジミ 7シオフキ 8アカニシ

奥東京湾が形成されれば大宮台地の人々は当然海の幸(さち)を見逃す手はない。海水の利用、魚、貝類の捕獲、海の幸が食卓を賑(にぎ)わしたことであろう。貝類は容積の割には食用部分が少なく、膨大な貝殻を捨てなくてはならない。採集した貝類が捨てられた場所が貝塚である。単なるゴミ捨て場ではなく、来季も獲物がたくさん採れるようにとの祈りが込められた聖なる場所でもあったようである。市域に貝塚はないが、桶川市域にはかって貝塚が所在した記録がある。貝塚から出土する貝殻や動物の骨などをみると、前期の大宮市の貝崎貝塚で三〇種強、中期の春日部市の花積貝塚(はなづみかいづか)では四〇種強と採集した種類は非常に多いが、主たる貝種はハイガイ・マガキ・ハマグリが主体で、他に淡水産のヤマトシジミとオオタニシぐらいである。貝殻のカルシウムのおかげで腐朽(ふきゅう)せずに残った骨類をみると、イノシシとシ力が主体となっている。骨の遣存率がわるく、量は不明であるが、自然環境から考えられるのは、キジや冬季のマガモも多く狩りの対象となっていた筈(はず)である。

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