北本市史 通史編 近代

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第2章 地方体制の確立と地域社会

第3節 国民教育体制の確立

2 青年補習教育の振興

壮丁教育の実施
壮丁(そうてい)という語は、今日馴染みのない言葉になっている。とくに戦争を知らない戦後生れの世代にとっては、何のことやらまったくその意味を解しないだろう。壮丁とは成人に達した男性であって、軍役などに服せられる者をいう。したがって、文字どおり解すれぱ、そうした青年に対して施(ほどこ)される教育ということになるが、これは要するに、明治三十八年(一九〇五)から始められた壮丁学力調査により、我が国青年の学力が満足すべき水準に達していなかったことから始められた靑年補習教育である。従って壮丁者及び準壮丁者を対象とした壮丁教育は全国的に実施された。もちろん市域の村々においても行われた。中丸村については史料的にアプローチできないので、ここでは石戸村の場合を紹介することとする。
『石戸村郷土誌』には、「壮丁教育要項及事業状況一覧」が掲載されている。その最初に石戸尋常高等小学校の上野校長が「壮丁教育ニ対スル意見」として、
一、従来地方ニ於テ普通教育完全ニ行ハレサリシヲ以テ吾人大二苦痛ヲ感ズル(ママ)モノ多シ、若シ義務ヲ完全ニ受ケタルモノニセヨ、独り軍隊教育ハ一種別問題ナレバ困難スルモノ甚ダ多キ感アリ、玆(ここ)ニ於テ近時各町村壮丁ニ対シ入営ノ準備的教育ヲ施(ほどこ)スモノ漸ク多キニ至レルハ、単ニ壮丁者ノミナラス教育上大ニ喜ハシキ現象ナリ、余ハ以下該(がい)教育上ノ注意事項ヲ摘出シ、入営二臨(のぞ)ミ最モ直接之力急需(きゅうじゅ)二応シ、我石戸村壮丁者ニ対シ其目的ヲ貫徹セントス
二、此ノ教育ハ軍隊卜密接ノ関係ヲ有ス、故ニ学校ハ軍隊卜常二智識ヲ交換シ、教育上如何二処スヘキカ之ヲ質シ、教授ノ智識ヲ確実ニナサゝルベカラス、

と述べ、以下「余ノ六週間現役中ノ研究卜軍隊二対シ、質問上知得シタル事項ニシテ、従来教育実験上大二有効卜信ズ」るところを学科別に披瀝(ひれき)している。修身科については、①教育勅語の解釈及び暗誦(二十三年十月三十日下賜)②勅諭の解釈(十五年一月四日下賜)、③軍人五ケ条の勅諭(十五年一月四日下賜)、④七ヶ条の読法、⑤入営当時の所感、⑥軍紀風紀の意義、⑦服従の意味、⑧赤十字社の起原及事業、⑨日常の心得、⑩宣誓式の性質及誓文の一〇項目を挙(あ)げている。
軍事上の学科については、①兵役の種類、②兵の種類色別性能、③各部の名称及相当官階級色別、④肩章(けんしょう)に於て階級を見分けること、⑤尊称及称呼(しょうこ)、⑥軍人階級表、⑦勲章の種類、⑧軍旗の性質、⑨陸軍常備団体配備及名称、⑩海軍鎮守府(ちんじゅふ)の所在地及区域、⑪陸軍刑罰の種類、⑫褒賞(ほうしょう)及休暇、⑬師団の編制、⑭方位学、⑮敬礼の仕方及注意、⑯距離測量、⑰直属上官とは、⑱地形の識別、⑲垣根の名称、⑳銃の各部名称及附属品、㉑傷の種類、㉒速度駆歩襲歩(くほしゅうほ)の速度、㉓行軍の警戒隊、㉔三十年式歩兵銃の性能、㉕三八銃の性能、㉖射撃標的の種類、㉗射撃用具、㉘号旗にて点数の知り方、㉙信号法の二九項目、普通学科は①算術(加減乗除・外国度最衡(どりょうこう))、②地理(日本の鉄道・師団の所在地・鎮守府(ちんじゅふ)の所在地・満州朝鮮地図の大略・樺太(からふと)地図の大略・外国の国名位置及国勢)③国語(日用文・電報・郵便物・日記の記入法)、実科として①不動の姿勢、②整列整頓の練習、③敬礼の練習、④号令の会得、⑤銃の繰法、⑥目測歩測の練習、⑦器械体操、⑧兵式体操、⑨普通体操の九項目を提示した。実地の経験・研究からして、壮丁教育にはこれらの内容が「大ニ有効」だというわけである。なお、石戸村においては日露戦争後の明治三十九年(一九〇六)から毎年二週間にわたって壮丁教育を実施した。ところが、大正十五年(一九二六)七月一日、青年訓練所令が施行されると、壮丁教育は各村の訓練所へ引きつがれていった。

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