北本市史 通史編 近代
第3章 第一次大戦後の新展開
第1節 地方自治制の再編成
1 地方改良運動から民力涵養運動へ
地方改良運動地方改良運動というのは、日露戦争を契機として、戦後内務省を中心に展開された町村自治振興のための国民運動をいう。この運動は、従来の上からの指導監督による町村自治の振興を、町村住民の側、すなわち被統治者の側から自発的に呼びおこし、町村住民の「愛村心」に訴えて、「村ぐるみ」の社会教化運動を通して、町村自治の振興を図ろうとするものである。「戦後日尚(なお)浅ク庶政益々更張(こうちょう)ヲ要ス宜(よろし)ク上下(しょうか)心ヲ一ニシ忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ惟(こ)レ信惟(こ)レ義醇厚俗(ぎじゅんこうぞく)ヲ成シ華ヲ去り実ニ就キ荒怠相誡(こうたいあいいまし)メ自彊息(じきょうや)マサルヘシ」と諭(さと)した戊申(ぼしん)詔書(明治四十一年十月十三日)が、この運動の原理となり、さらに一段と発展を促(うなが)す契機となった。
内務省を中心として展開された地方改良運動は、三つの形態をとって具体化された。その第一は、地方改良事業における優良団体や個人の表彰である。平田内相は、明治四十二年(一九〇九)五月、地方長官に対する訓示において、「自治・矯風(きょうふう)・奨善(しょうぜん)・教化・経済」の地方改良の分野で、成績優良な団体や個人に対して表彰の方途を設け、これを奨励するのは現下の急務と述べ、さらに翌年五月十六日、「地方改良奨励ニ関スル件」(内務省秘第四四五号)を各府県知事に通牒し、優良団体や個人の表彰を勧奨(かんしょう)している。この通牒により埼玉県では、同四十四年二月に児玉郡秋平村、同年十一月に南埼玉郡潮止(しおどめ)村が優良村として選奨された。
地方改良事業の第二は、模範例の収集と刊行である。これはすでに日露戦争当時から行われており、その後、さらに積極的に進められていった。模範例になったものは、必ずしも特殊なものではなく、日常どこの町村でも実践できるようなものであり、それがまた他町村を誘導啓発することとなった。
第三は地方改良事業講習会の開催による指導者の育成である。講習会は明治四十二年(一九〇九)から開催し、第一回は同年八月、第二回は同年十月に開かれ、全国各府県から二、三名ずつ県官・郡長・郡書記や町村長に三週間、主として内務省官僚らが講師となって地方自治の本義、自治の動向、自治訓練の方法、事務整理並びに地方財政を主眼として、地方改良事業に関連のある産業や教育の各部門が講義された。なお、この講習会では受講者相互の意思の交換を活発に行わせ、それによって自治行政担当者の知識をさらに豊富にするとともに、東京府や近県の諸施設や全国的に優良町村を指定し、視察させたりして見聞を広めさせたりし、地方改良事業への熱意を盛り上げようとした。