北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第2節 町村合併と三十年代の村政
2 町政移行期の村政
都市づくりその現実都市計画法の適用地域指定をうけた昭和二十九年、村の土木課では「東京への通勤地域としての発展が約束された」として、次のようなパンフレットを作成し、村民へのPRを開始した。
都市計画法が適用され、(中略)街路数八線の計画が設定されました。幅員(ふくいん)は最大十八メートル、最小九メートルとなっており、両端に人道三メートルづつ、(中略)街路樹を植え、車道は舗装(中略)上下水道及び電信線を地下に埋め込み(中略)、現在までは夢にも等しい理想でも、(中略)この都市計画事業を遂行して行きたいと存じます(中略)。ただ単に街路の建設ばかりでなく、それに伴って専用地区の設置(工業専用地区など)、土地区画整理、上下水道の敷設及公園緑地、風致(ふうち)地区、連動場等いろいろ実行してゆかなければならないのであります。(北本宿 五一九より引用)
以上のように、これから進めようとする都市計画街路の建設推進と、それに伴う地区計画や今後の道路のあり方について述べているほか、適正価格による用地買収のための委員会設置の必要を説き、住民の協力を訴えている。ここには都市計画に対する長期的展望ぱかりでなく、それを推進しようとする土木課の意気込みが読みとれる。
しかし、それを実施するには財政の裏づけがなく、昭和三十五年度に至って、ようやく都市計画税が新設されたに過ぎなかった。新税を提案した町長斉藤隆は、予算特別委員会において、次のように述べている。
(前略)最近、本町には幸い五~六の工場もできました。また国道バイパス線も着工になり、(中略)これに伴いまして町民から要望もあり、道路を作る区画整理等実施する考えをもっては居りますが、今ただちにそれを実施するというのではなく、先ず計画を樹てる、その費用に充てる考えであります。一例をとると請願もでて居る道路等必要ではありますが、然し今直ちに財源難で着手できない、先ず財源を得ることが先決である。(下略)(昭三十五・三・十「北本町々議会記録」より引用)
以上の町長答弁は、それまでの都市計画がほとんど未着手で、都市計画税の徴収によって、ようやく事業計画を作成するようになったことを示している。その状況を表6に示す。
表6 都市計画街路の現況 (昭和37年現在、単位:m)
街路名 | 計画 | 実施概況 | 備 考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
幅員 | 車道 幅員 | 延長 | 幅員 | 車道 幅員 | 舗装 | ||
西中央通線 | 15 | 12 | 985 | 6 | 0 | 市道12号線 | |
中 山 道 | 15 | 2,090 | 9 | 全線舗装済 | 昭和37年以後県道 | ||
東 大 通 線 | 16 | 1,540 | 16 | 16 | 全線舗装済 | 国道17号線 | |
中 央 通 線 | 18 | 13 | 1,177 | 6 | 0 | 廃止 | |
上 原 線 | 11 | 6 | 1,338 | — | — | 市道 | |
菖 蒲 線 | 11 | 9 | 2,413 | 6 | 0 | 全線舗装済 | 市道 |
髙尾宮内線 | 11 | 9 | 1,695 | 6 | 0 | ||
東 中 通 線 | 11 | 8 | 1,580 | — | — | 市道 | |
北 2 号 線 | 9 | 6 | 630 | 3 | 0 | 廃止 | |
環 状 線 | 9 | 2 855 | 0 | 0 | |||
南 1 号 線 | 9 | 6 | 1,040 | 3 | 0 | 500m開通 |
(北本宿№292より作成)
注 表4に計画を示したが、比較のため一部(幅員、延長)を重複して掲載した。

写真4 当時の自動車と駅前通り 昭和38年 北本
区 分 | 自家用 | 営粟用 | 計 |
---|---|---|---|
ト ラ ッ ク | 21 | 1 | 2 |
小型トラック | 5 | 1 | 6 |
中型乗用車 | 12 | 3 | 15 |
小型乗用車 | 23 | 1 | 24 |
小型三論車 | 126 | 126 | |
小型二输車 | 115 | 115 | |
軽 自 動 車 | 348 | 348 | |
計 | 650 | 6 | 656 |
(北本宿№292より作成)
注 表4に計画を示したが、比較のため一部(幅員、延長)を重複して掲載した。