北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

1 北本町の発足

関心集めた町名公募
町制移行の際、住民の関心を集めたのは、移行の是非よりも新しい町名であった。町名変更提起から新町名決定までの経過は、およそ次のとおりである。
八月二十三日 町制施行協議会において町名変更と新町名公募を決定、準備委員六名委嘱(いしょく)
八月二十七日 区長会で全員賛成、区長より公募パンフレットを全世帯に配布
九月  一日 町名審査委員会委員一七名を委嘱(委員長綱島憲次)
九月  五日 応募締切(応募者五四一名)
九月  七日 村議会において(質議なく討論省路)、北本町に決定
新町名の公募に対して、およそ十日間で約三〇〇に及ぶ町名が出され、住民の関心がいかに高かったかがわか。集まった町名には、北本・中山道から発想した「北、本、仲、中」、新しく生まれる町への期待をこめた「新、富、栄、豊、美、若、和」などの文字を組みこんだものが多かったが、その他にも気宇壮大(けうそうだい)な日本・北都・関東町、心優しい愛住・望妻・和合町、そのものずばりの栄華・黄金町、宗教的な意味をこめた解脱・聖座・正徳・大師・日法町、凝(こ)りすぎていささか意味不明な相子(あいこ)・ 一心・冠者・北令名・師川・天矢・女仙町、さらに最高傑作ともいえそうな芋名・藷宿(もろじゅく)・雜木・強立・仲吉•男女・生芽(しょうが)町等々があった。
町名審査会は、これら応募の町名のなかから投票による選定を行い、最後に「美治町(みはる)」と決定した。高見桂子が応募したもので、彼女は戦後生まれのお嬢さんで、この時弱冠(じゃっかん)十ニ歳であった。しかし、翌々日の議会には三位に推された「北本町」が提案され、可決された。どのような経過で、「美治町」ではなく「北本町」提案となったかは明らかでないが、「わかりやすさ」「親しみやすさ」などを基準にした賢明な選択であった(現代No.ニニ・二三)。

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