北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

2 市政の展開

見直される市街化区域
市街化区域と市街化調整区域とに線引きをして以来十年を経過し、市街化区域ではあるが宅地化が進まず、大量の農地が残存したままの区域が現れてきた。このため埼玉県では、このような区域の見直しを行い、一旦、「暫定(ざんてい)逆線引地区」または「面整備促進地区」とし、指定の変更を行うこととなった。暫定逆線引地区とは、用途地域を残したまま、暫定的に市街化調整区域とし、区画整理など市街地形成について住民の合意が得られた段階で、再び市街化区域へ編入するとされた地区であり、面整備促進地区とは、土地区画整理などの市街化の見通しが立たないため、市街化調整区域へ戻すとされた地区である。
昭和五十七年末、市域で県より見直しを指摘された地区は、二か所すなわち①下石戸上・下石戸下・本町・北本宿の各一部一〇七ヘクタ—ル、②中丸・ニッ家の各一部四十四ヘク夕ール、計一五一ヘクタールで、両地区とも暫定(ざんてい)逆線引地区とされた。これに対し北本市では両地区の住民八六九名を対象にアンケート調査を行い、表29・30のような結果を得た。
表29 逆線引き指摘地区の意向調査  (昭和57年)
面 積 別(%)人 数 別(%)
賛成反対無解答未回収賛成反対無解答未回収
①地区36.332.59.921.314.939.810.232.1
②地区27.334.615.222.911.838.112.735.6

(『広報きたもと』№344より作成)


表30 逆線引き指摘地区の意向調査の賛成理由
県 案 に 賛成 の 理由①地区②地区
今後も農業を続けたいので、市街化調整区域へ逆線 引きを望む8.80%15.40%
都市基盤を整備するまで逆線引きしておき、整備後 市街化区域へ編入を望む86.20%66.70%

(『広報きたもと』№344より作成)


以上の調査は、回答が両地区合わせて五七八名(六六.五パーセント)にとどまったうえに、無回答も多く、また人数では反対が多いが、面積では賛否が半ばし、個々の住民の戸惑(とまど)いを表しているように思える。しかし次のような回答もあった。それは半永久的な市街化調整区域への編入を望む者は少なく、一時様子をみるというもので、つまり暫定逆線引きを認め、その間に都市基盤の整備がすすむことを期待している者が多いことがわかる。
一方、県の見直し案に反対の者も、市街化区域として存続するためには、土地区画整理あるいは地区計画による整備などが必要だ、とする者が圧倒的に多く、逆線引きに対して、暫定的である限り、絶対反対ではなかったことを示していたといえよう。
住民の意向調査の結果を、県知事がどのように判断したのかはわからないが、昭和五十九年十二月両地区とも面積が縮小されたうえで、暫定逆線引地区へ編入が決定した。①地区は下石戸上・下石戸下・本町・北本宿の各一部三十六.一ヘクタール及び北本宿・下石戸上の各一部七.八ヘクタール、計四十三.九ヘクタ—ル、②地区は中丸・ニッ家の各一部十八.一ヘクタール、合計六十九ヘクタールであった(『広報きたもと』No.三九〇)。

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