北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第3節 都市化の進展と農業の変貌

2 都市化と農業の変貌

農地転用の増大と専業農家の減少

図19 用途別農地転用面積の推移

(『北本の統計』より作成)

昭和三十四年後半に始まる高度経済成長は、大都市東京とその近郊農村地帯への人口と産業の集中をもたらした。北本でも三十四年ごろからまず工業化を主軸とする農地の転用が進んだ。工場の進出は三十八年ごろまで激しい勢いで進行し、この間、およそ六十三へクタール近い農地の潰廃(かいはい)がみられた(現代No.九十一)。
一方、工業化の進行を追うようにして昭和三十八年ごろから住宅化の波が北本に押し寄せ、その後も都市化の主導権を握り続けて今日に至っている。こうした工業化や住宅化の進展は、同時に都市的環境整備のための公共用地需要の増大をひきおこした。その結果、昭和三十七年から四十五年にかけて都市化の最高潮期が出現する。この間の農地潰廃(かいはい)面積は実に一六四ヘクタールに及んだ。
農地の転用は、工業化の停滞と公共用地需要の減退とが重なって、昭和四十六年頃から若干落ち着きを取り戻し、横ばい傾向を示すようになる。ただし、住宅地需要だけは依然として強含みで推移し続けた。結局、北本では高度経済成長期から安定成長期にかけての二十年間に、当初の農地面積の四分のー近いおよそ二六〇へクタールが、都市的用途に転用されていったことになる。

図20 専兼業別農家数の推移

(『北本の統計』より作成)

農地転用の内容を四条(所有権移転を伴わない転用)、五条(所有権移転を伴う転用)別にみると、昭和四十年における四条処理分は僅かに六パーセント、大部分は五条処理分であった(現代No.九十)。その後次第に四条処理分の比重が増し、五十四年には四条処理分が二十九パーセント、五条処理分が七十一パーセ ントとなる。このことは農家から土地を買った人がこれを住宅地や工場用地に利用するパターンから、農家自身が自己の所有地を駐車場、アパ—卜、貸家、貸倉庫、貸店舗等に転用して不動産経営にのりだし、多角的な農家経営を始めたことをものがたっている。市街化区域内の農地が市民権を確立し、これを踏まえて農家が農業プラスアルファーの複合経営に専念する姿、これこそ現在の都市農業の特色を象徴的に表現しているといえるだろう。
都市化の影響は農地の潰廃(かいはい)にとどまらず、近郊農村からの労働力の流出をも促進した。このため、戦後の農地解放直後に六十パーセントを占めていた北本の専業農家は、昭和三十五年に三十四パーセント、四十五年に十三パーセント、五十五年にはついに九パーセントにまで落ち込んでしまった(現代No.九十三)。その後今日まで、ほぼこの割合で推移するが、その実態は停年退職による帰農者が増え、生産物販売額のほとんどない自給型の老齢専業農家が十~ニ十パーセントにも達し、農業で家計を維持している農家はほんのひと握りとなってしまった。

図21 市街化区域内農地の推移

(『北本の統計』より作成)

反面、農産物の商品化ー販売ーをほとんど行わない第二種兼業農家が急速に増加していった。増加傾向は昭和五十年ころまで一貫して続き、以後横ばいに転ずる。実数では横ばいとなるが、農家数の連続的減少の中でその占める割り合いは高まる一方であった。平成二年現在、専業農家数が七十八戸(十パーセント)、第一種兼業農家数が一一七戸(十五パーセント)、第二種兼業農家数が五七五戸(七十五パーセント)である。総農家数は七七〇戸となり、高度経済成長期の入り口にあたる昭和三十五年の一一八五戸に比べると、三十五パーセントの減少率であった。近郊農村北本は、田園都市北本へと大きく変貌(へんぼう)を遂げることになるわけである。

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