北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第4節 工業化の進展と分布・特色

1 工場の立地動向と分布

北本の工場立地動向は、朝鮮動乱を契機に最初の増加期をむかえるが、動乱終結に伴う不況で、その後の数年間エ場数、従業員数とも半減する。しかし、昭和三十四年以降の高度経済成長政策の波にのって、再び顕著な増加に転ずる。増加の勢いは昭和三十二年の工場数を一とすると三十四年が一・九倍、四十年が六・六倍、五十年が一七・一倍となる(昭和五十三年版『北本の統計』)。工場数の増加に連動して、従業員数の伸びもこれを上回る割合で推移し、三十二年のわずか九八名から最盛期の四十八年には四二倍の四一五〇名に達した。
こうした工業の著しい発展も昭和四十八年夏のオイルショックによる景気後退でかげりがみえはじめ、まず生産調整、人員整理の影響と思われる従業員の減少が始まる。次いで従業員の減少より数年遅れて工場数の停滞(ていたい)がみられるようになる(図23參照)。
この間に立地した工場の分布状況をみると、図24に示すように、全体的には下石戸下を除く市内全域にほぼ万遍(まんべん)なく分布している。しかし詳細にみると、北本駅周辺、十七号国道沿い、下石一尸上から荒井にかけての各地区にややまとまった分布がみられる。一方、敷地面積の大きい企業の立地は、高崎線沿いの桶川市工業地区と隣接する地域、十七号国道の後背(こうはい)地区及び中山道沿いの東間地区に展開し、旧石戸地区には一社しかみられなかった。
このような工場の分布上の特色は、その後、昭和四十五年の新都市計画法に基づく線引きによって、地価の安い郊外部への立地が規制されたこと、並びに市街化区域内の地価
水準が住宅化の進展で急速に上昇し、工場用地取得が困難となった結果、同四十三年現在の傾向を維持することになる。

図23 北本市における工場数・従業員数の推移

(『工業統計』より作成)

図24 北本町の工場分布(昭和42年)

(『工業統計』より作成)

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