北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

2 都市化に対応する行・財政

消防組畿と施設の拡充
昭和二十年代後半から三十年代前半にかけて、次第に動力ポンプが導入され、その結果三十年代後半は水源確保が必要となった。堀の内・深井・高尾・荒井地区から、それまでの井戸に代わる貯水槽(ちょすいそう)設置の請願が相次ぎ、その設置が続いた(現代No.四〇)。これらの地区は台地上の深井戸地区で、そのうえ堀の内地区では農事試験場官舎を中心に家屋が、深井地区では国道沿いにガソリンスタンドや工場が密集しつつあったため、とくに施設の遅れが目立ち始めた地区であった。さらにこれらの地区では、家屋や工場の増加によって消防組織の拡充(かくじゅう)が必要となり、昭和三十五年には第四分団(宮内・深井三四〇戸余り)を分割し、深井地区に新分団を組織し(現代No.三九)、また同三十六年には東十八区特設消防団(地区民の費用負担により同二十三年結成、団員十五名)が北本町消防団へ編入された。
そのころ、消防法施行令の改正に伴って、北本町火災予防条例も改められ、昭和三十八年には災害対策基本法(昭和三十六年制定)に従って、北本町防災会議条例が定められた。同条例は防災会議の組織について、会長には町長が当たり、委員には埼玉県知事部局・県警・北本町役場・町教委・消防機関などの職員のなかから任命または指名することを規定した。さらに同会議の任務について、地域防災計画の作成とそれを実施し、推進することを規定した。これらは要するに、火災のみならず風水害、地震などをふくむさまざまな災害に対して、町長を先頭に町の行政機関をあげて、その防止や発生時の応急対策に当たることを定めたもので、防災組織は一段と拡充されるに至った。同会議が定めた地域防災計画は、災害予防計画と災害応急対策計画とから成るが、後者が組織化されたのは初めてのことであり、前者についても災害通信整備計画、地震・火災・文化財災害予防計画などが新たに追加されている。
このように組織の拡充がすすんだ一方で、それまでの消防団の維持が困難になりつつあった。昭和三十八年度予算の提案理由のなかで、町長木村卯之吉は「近年火災時において、消防団員が出稼(でかせ)ぎ等のため不在なので、充分な消防活動ができず、(中略)早急に常設消防の設置をしなければならない」ことを強調しているが、昭和四十四年に至り、既存の消防団に常備部が設置され、これが常設消防の端緒(たんちょ)となった。それは部長(消防団長が兼任)の下に、五年以上の勤務が可能な団員のなかから任命した部員十七名で構成し、二十四時間体制の防災機関とする組織であった。翌年これが本格的な消防本部へ編成替えされ(現代版四十二)、さらに昭和四十八年には消防署が竣工(しゅんこう)し、都市型防災組織が完成した。

<< 前のページに戻る