北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

国道十七号バイパスの開通
現在、北本を通る道路の中で中核的な役割を担っているのは国道十七号であるが、それが開通するまでは中山道が中心道路であった。北本を南北に縦断する中山道は、沿線の市町村の発展のための原動力であった。
日本経済の復興、発展をささえ、おしすすめるための物資運搬量の増加により、中山道の交通量も急増し、交通事故も目立ってきた。そのため、幅員(ふくいん)(道路幅)拡張の必要に迫られ、昭和三十年、「大宮ー熊谷間国道十七号線整備促進期成会」が結成され、道路整備のための運動が展開されることになった。同期成会では、国道十七号である中山道の幅員(ふくいん)拡張を関係機関に請願・陳情を行い、国側でも関係係官が同三十年十一月に現状を視察するなど、道路改良の実現がきわめて可能性高いものとなった。県も国道十七号の幅員拡張を希望して建設省と折衝(せっしょう)したが、その折同省から、大宮ー鴻巣間には新路線を建設するという計画を示されたため、道路拡張希望を変更し、国道新設を要望することになった。同三十一年、大宫ー鴻巣間の国道十七号バイパスの建設が決定し、翌三十二年から総工費一八億円をかけて工事が開始された。北本での工事は三十五年六月から始められ、三十七年四月には大宮ー鴻巣間が一部を除いて完成し、翌三十八年五月一日に開通した。バイパスは幅員二〇メ—トル、上下各二車線で、旧国道十七号の中山道よりもかなり広<'輸送能力の大幅な拡大を可能にした。

写真59 国道17号バイパス(現国道17号)を渡る児童たち

昭和37年 北本(中丸小学校提供)
昭和38年に開通した国道17号バイパスを渡るのには危険が伴ったため、PTAを中心に交通整理が行われた。

バイ・ハスの開通により、工場が道路沿線に進出し、北本の産業発展の大きな原動力にもなった。広い視野(しや)から見れば、日本経済の成長を支えていくことにもなったともいえよう。しかし、反面では大きな問題が生じたのも事実である。バイパスの完成により、本来ならば、交通が緩和(かんわ)され、交通事故が減るはずであったが、この時期は経済成長期であったため、沿線への工場進出が激しく、混雑の状況はますますひどくなった。そのため、このような道路に不慣れな者が横断するには、危険がつきまとい、交通事故がひんぱんに発生した。特に中丸小の児童の中にはバイパスを渡らなければならない者も多かったので、保護者にとっては心配が尽きなかった。そこで同小では、バイパスの安全横断のため、下石戸上ー菖蒲(しょうぶ)線との交差点での立ち番をPTAの協力により実施した。しかし、これにもかなりの危険が伴うため、同所に信号機が取り付けられることとなった。また、後述(こうじゅつ)するように、同小PTAを中心に、バイパスと駅前通りとの交差点に歩道橋を建設する請願がすすめられることになった。

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