北本市史 資料編 自然
第1章 北本の地形
第1節 台地の発達と硬砂層(河畔砂丘)
硬砂層の発達と台地の形成一三~一二万年前の下末吉海進最盛期には、当然北本も、広大な古東京湾の湾底にあった。ここには周辺山地や丘陵から、シルト・砂混じり粘土・青灰色粘土・砂等が流入し、東京層と呼ばれる厚い地層が堆積した(図8・9)。一〇万年前頃には地球の寒冷化に伴う氷河の発達によって陸地から海への水の供給が著しく減少し、海水面の急速な低下が進行した。こうして古東京湾の海底堆積面は陸化し、ようやく関東平野が誕生した。
図8 北本市深井戸柱状図―1(7~11は図2の地点を示す)
図9 北本市深井戸柱状図―2(11~14は図2の地点を示す)
図7や硬砂層の発達形成からも明らかなように、北本市域の高位台地面(下末吉面)の地域は、古東京湾の海底堆積面が陸化した後も、河川の侵食・堆積作用の影響をほとんど受けることなく保存され、ここに大宮台地形成への準備が完了した。
図7 台地の微地形から推定した硬砂層の分布
硬砂団体研究グループ地球科学38-1(1984.1)
(黒くぬった部分が硬砂層の分布域)
一〇万年前頃、関東平野の誕生によって陸化した北本市域は、河川の侵食・堆積作用をほとんど被ることのない環境にあったが、河川の堆積したヌカ砂層の一部がクリヨウカン軽石降灰期以後(七万年前~六万年前)に卓越西風によって吹き上げられ、大宮台地下の自然堤防状の微高地に小河畔砂丘を形成した(硬砂層)。クリヨウカン軽石降灰期以後には、折りからの降下火山灰層の堆積可能な離水環境が整い、下末吉ローム上部層や武蔵野ローム層、立川ローム層、大里ローム層が堆積し、ローム台地(下末吉面)の発達が促進された。
北本市域の中には、河川の侵食あるいは堆積作用をより強く受けてきた地域も存在する。北本東部の狭い低位台地面(武蔵野面)がそれに該当し、下末吉ローム降下期には、河川の侵食作用がまだ優勢であった。
武蔵野ローム降灰期の低位台地面(武蔵野面)は、関東造盆地運動の影響を特に強く受け、加須低地の方向へ傾動を続けた。同時にここには河川の侵食作用が働き、台地東端部の洪積層(ローム層)が五メートル程度削り取られて浅い谷が形成された。この浅い谷には河川の運搬堆積作用により沖積世の粘土層や泥炭層・シルト層が埋積し、赤堀川の沖積低地が発達した。