北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

崇神~成務
この朝にかけて、後の武蔵国域に知々夫・無邪志・胸刺の三国造が置かれる。
1 先代旧事本紀(1)・巻十 国造本紀(2)
         〔新訂増補国史大系〕
无邪志国造(3)
志賀高穴穂朝(4)世、出雲臣祖、名二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫兄多毛比命、定賜国造
胸刺国造
岐閇国造祖兄多毛比命児伊狭知直、定賜国造
知々夫国造
瑞籬朝(5)御世、八意思金命十世孫知知夫彦命、定賜国造、拝祠大神
〔読み下し〕
1 无邪志の国造
志賀高穴穂朝の世、出雲臣の祖、名は二井之宇迦諸忍の神狭命十世の孫の兄多毛比命を、国造に定め賜う
胸刺の国造
岐閇国造の祖、兄多毛比命の児の伊狭知直を、国造に定め賜う
知々夫の国造
瑞籬朝の御世、八意思金命十世の孫の知知夫彦命を、国造に定め賜い、大神を拝祠す
〔注〕
(1)せんだいくじほんぎ 神代から推古天皇に至るまでの事績を、神代・陰陽・神祗・天神・地祇・天孫・皇孫・天皇・神皇・帝皇・国造の十一本紀として構成し、古代伝承に基づき全一〇巻に編さんされた史書。序文では、推古天皇が推古二十八年(六二〇)に聖徳太子に命じ、蘇我馬子等に選定させ、太子没後の同三十年(六二二)に完成したとある。しかし、現在では記紀などの伝承をもとに平安初期の成立とされ、史料的価値も疑問がもたれているが、著作年代が古いことから重要史料とされている。
(2)くにのみやつこほんぎ 先代旧事本紀巻一〇に収載される。先代旧事本紀は偽書説もあり史料性に問題があるとされるが、国造本紀には独自の所伝がみられ、適切な文献批判を行えば、その史料性は高いとされる。
(3)大和王権が地方統治のために設置した地方官で、在地有力豪族層が任じられた。
(4)しがたかあなほちょう 皇統第一三代成務天皇の世
(5)みずがきちょう 第一〇代崇神天皇の世
〔解 説〕
後世、武蔵国となる地域には、崇神から成務朝にかけて、知知夫・无邪志・胸刺の三国が置かれていた。知知夫国は秩父郡を中心とする荒川北岸地域、无邪志国は比企・入間・南北足立・南北埼玉郡辺りの中武蔵一帯、胸刺国は多摩川流域を中心とする南武蔵一帯の地域とされ、それぞれに国造が置かれていた。一説には北武蔵を胸刺国造の支配地に、南武蔵を无邪志国造の領域とする考えもある。また、この両国造については、〃むさし〃と音が共通すると考えられることから、同一国とする考えもある。古墳の分布圈等の考古学の成果を考慮すると、秩父・中武蔵・南武蔵の三地域を想定できるので、三国造設置とする国造本紀の記述もにわかに退けることはできず、むしろ、後世の史実の反映の結果とみるのが自然と思われる。

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