北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

天文二十二年(一五五三)四月
武州石戸の新左衛門らは、那智山御師実報院に旦那願文を出す。
なお、先達柳門坊舜祐が、石戸郷等の旦那を実報院へ譲り渡した年未詳文書を併載する。

175 旦那願文写 〔米良文書〕
  願文
武州みた(三田)の住呂(侶)賀藤たくミ、同ほや(保谷カ)源左衛門、同あさハたてわき、□(同カ)わかハやし(若林)、いしと(石戸)新左衛門、同あらい助次郎、同ふかや(深谷)左馬の助、同彦三郎、同しやうけん(将監)、同宮寺うた(雅楽)の助、同いおすミまこ七、同とハり次郎三郎、見た与五郎、同源長、参詣之時仕置先達養門坊
 天文二十二年四月吉日
  那智山御師実報院殿(1)

176 旦那引付注文(2)写 〔米良文書〕
武蔵足立郡石戸郷伊藤兵庫 同郷伊藤藤二郎 同郷飯野孫七郎 同郷新井神三郎 同郷彦三郎
 同足立郷(ママ)あけをの郷原宿
原五郎さへもん 同入東郡河越庄深河二位 石戸郷真如坊 おミのゝ郷源三郎 石戸郷真福寺
 那智山実方(報)院へ罷付候、先立(達)柳門坊
             舜祐(花押)
〔読み下し〕
175・176 略
〔注〕
(1)熊野三山の一つ熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の有力塔頭の社僧で、御師
(2)引付注文とは、後日の証文として書きつけておく記録や証文などをいう。
〔解 説〕
本史料は、熊野三山の武蔵国旦那(信者)一四人が御師実報院に奉じた願文である。この中に、石戸の新左衛門がいる。彼の出身等は不明だが、石戸の地名から、本市石戸に住居していたと思われる。この外、荏原郡三田(東京都港区或いは箕田とすれば鴻巣市)・新座郡保谷(保谷市)・入間郡浅羽(坂戸市)・幡羅郡深谷(深谷市)・入間郡宮寺(入間市)と武蔵の地名を伝えている。彼等は先達養門坊を仲介に実報院と師且関係を持っていたのである。
史料176は年月日を欠くが、本山派の修験柳門坊舜祐が石戸郷の伊藤兵庫外の旦那を実報院へ譲り渡した証文写である。これには石戸郷の住人として伊藤・飯野・新井の三姓五人の名が記されており、市域に関する史料として注目すべきものである。

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