北本市史 資料編 古代・中世

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第3章 城館跡・金石資料・仏像

第2節 金石資料

1 板碑

(八)石  幢
 板碑ではないので、次章で扱うのが本来であるが、石材と身部の表現形式が板碑と同じであり、本節に含める。
 頂部が水平の板碑を六枚組み合わせ台石に嵌め込み、上から笠石をかぶせたもの、つまり単制の石幢である。六面石憧とか六角塔婆と称されることが多い。台石も笠石も当然嵌め込むための穴を穿ってある。
 阿弥陀堂(大字高尾)の04-46は昭和五四年の墓地造成で出土したものである。枠線・種子サ・蓮座の一部が残っている。頂部が水平で、端部と枠線との間の空白が広く、笠を受ける構造であることが明瞭である。僅かに残っている蓮座の様式からすれば鎌倉後期〜南北朝期である。石憧の類例は少ない。比企郡都幾川村・慈光寺に台石が残っているのと、同郡同村・武藤家の長禄五年(一四六一)銘六観音六地蔵画像の幢身一面、比企郡小川町・大聖寺の国指定重要文化財康永三年(一三四四)銘塔、毛HIII町・宿谷家の県指定文化財貞和二年(一三四六)銘塔、東松山市・正法寺の天正十年(一五八二)銘塔、鳩山村・旧密蔵院成地の年不詳名号塔、東京都立川市・普済寺の延文六年(一三六一)銘二王・四天王画像塔がある。これらの諸例はすべて比企丘陵から武蔵野台地上に分布しており、荒川右岸域である。本例が初めて左岸域で発見されたものである。分布が一気に広がった。東松山市正法寺例とは距離的に近いとはいえ、正法寺例より古く、'分布とともに伝播経路が問題となつてくるであろう。

図43 阿弥陀堂年不詳石幢(04-46)


 サ 蓮座    

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