北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第3節 産業と金融

1 さつま芋出入一件

108 慶応三年(一八六七)八月 鴻巣宿八百屋さつま芋取引方出入につき和解議定
  (中丸 加藤一男家文書八三)
     為取替申議定一札の事
薩摩芋売買の義ニ付、八ヶ年已前申年中鴻巣宿芋屋渡世の者新規問屋取立夫のみならす、村々百姓相続方ニ抱り候程ノ義申出シ、其節彼是差縺レ既ニ出訴ニも可相成所、扱人立入済方相成候廉々取極も有之所、尚又此度右芋屋渡世の者問屋相立一手捌其余共取斗先年ノ義定相破候義ニ付、夫是争論及ヒ候中扱人立入不行届ノ廉々ハ扱人貫請、已来先年の議定相守売買可致筈ニテ熟談内済行届和融相整候上八双方中分無御座候、為後日議定如件
           銘々村々惣代
           上加茂宮村
 慶応三卯年八月   名主 幸右衛門
           下か村
            同 源左衛門
           砂村
            同 忠 三 郎
            今羽村
            同 喜 四 郎
            小泉村
            同 蝶右衛門
           中新井村
            同 清 次 郎
           壱丁目村
            同 源   吉
           上中丸村
            組頭 丈  吉
           本宿村
            同 彦 四 郎
           下石戸下村
            組頭 浅 五 郎
           日出谷村
            同 定 次 郎
           下中丸村
            同 清 兵 衛
           久保村
              新右衛門
           東間村
            名主 七左衛門
           鴻巣宿芋屋仲間
              勝 五 郎
              余   市
              金 兵 衛
              半 兵 衛
           同宿扱任
              次郎兵衛
              樋川宿扱人
              新   蔵
猶以此為取替書の義ハ本書我等方ニテ預り置申候、御入用の節ハ入御披見申候、以上
           上加茂宮村
            名主 幸右衛門
           上中丸村
            組頭 丈   吉
           南部領砂村
            名主 忠 三 郎
           下か村
            名主 源左衛門

資料108 為取替真申議定一礼の事

(中丸 加藤一男家文書)

解説 さつま芋取引が一層盛んになると、鴻巣宿の八百屋は八年前の議定があるにも拘らず、再び生産者と商人の間に立入り利益を得ようと企んだ。今度は宿内一か所で、八百屋の者が立入りで糶(せり)にかけ、手数料として百文に付き鐚銭(びたせん)二文五分を要求した。
この要求に対し、再び市域を中心とした村々に回状がまわり相談することになつた。なお「下川上分」とは下川田谷上分のことであろう。
資料106は、鴻巣宿八百屋の新しい手口に対抗するため、八年前の万延元年(一八六〇)の議定とするまで村々から一切さつま芋を出荷しないと取決めた議定である。また、訴訟になった時には費用を村高に応じて拠出することも定めている。
なお、隣村上日出谷村(現桶川市)に残る同様の資料栗原家文書、資料107には鴻巣宿に近い中山道三軒茶屋と岩槻往還道祖神に見張番を立て脱落防止を行ったとある。
資料108は、鴻巣宿八百屋五人と関係村々一四か宿村との間で取替した議定である。
内容は再度万延元年の議定の通り生産者である農民が自由に売買することを取り決めた。なお、資料で八百屋とは言わずに芋屋渡世、芋屋仲間と称しているのをみるとさつま芋の売買を専業とする八百屋がいたことを物語っている。

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