北本市史 資料編 近世
第2章 村の生活
第3節 産業と金融
6 質屋・頼母子講
125 天保九年(一八三八)七月 下石戸上村質屋渡世名前書上帳(下石戸上 吉田眞士家文書六二)
(表抵)
「
武州足立郡下石戸上村質屋渡世名前書上帳
下石戸上村
」
御糺ニ付奉申上候書付
牧野八太夫知行所
武州足立郡下石戸上村
弐拾六ケ年以前戌年より 組頭
一質屋渡世 質屋竹 次 郎
是ハ伊奈半左衛門様御代官所同州同郡原馬室村百姓
要右衛門方江送質仕候
是ハ文政十亥年中御改革御調の節弐ケ年平均質取高書上候分
六ケ年以前巳年より 百姓
一同 庄左衛門
同州同郡下川田谷村名主甚右衛門方へ送り質仕候
四ケ年以前未年より 名主
一同 徳 太 郎
(下川カ)
同 右同断口口田谷村名主甚右衛門方送り質仕候
〆弐人
是ハ去ル亥年御調以後同渡世の者江申談候所、故障の者無之ニ付村役人江申出新規質屋相始候分
右は農間質屋渡世仕候者私共外壱人も無御座候、以上
右 下石戸上村
天保九年 質屋百姓 竹 次 郎
戌七月 同 同 庄左衛門
同 名主 徳 太 郎
百姓代 七 兵 衛
組頭 宗 助
名主 徳 太 郎
関東向御取締御出役
山田茂左衛門様御手附
吉田左五郎殿
山本大膳様御手代
太田平助 殿
同御手附
内藤賢一郎殿
同御手代
小池三助 殿
同
須藤保次郎殿
解説 本資料は、関東取締出役手付等に提出していた天保九年(ー八三八)の下石戸上村における質屋営業者の姓名書きである。
関東取締出役は文化二年(一八〇五)、治安取締りのために関東一円の御料・私料・寺領の別なく自由に出入りの特権を与えられた役人。手代・足軽・小者をつれて廻村した。さらに文政十年(ー八二七)関東全域に三、四〇か村を単位とする改革組合を結成させる「文政の改革」が断行されると、関東取締出役はこの改革組合と直結させられ、農民生活全般にわたり統制強化の一翼を担った。たとえば、農間余業についても厳しい取締りが行われ、しばしば実態調査が行われた。本資料もその一つで、天保九年に行われた一斉調査の際、庶民の金融機関である質屋営業の者を書上げさせたものである。これによると下石戸上村では三人おり、名主・組頭など村役人の名がみえる。最も長期にわたる者は文化十一年(一八一四)以来二六年間に及んでいる。また、いわゆる質草に取った品物は、それぞれ隣村の大規模な質屋を営む親質へ送っていた。下川田谷村(現桶川市)の甚右衛門などもその一人である。