北本市史 資料編 近世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 近世

第2章 村の生活

第3節 産業と金融

8 借用金・借地

138 文政八年(一八ニ五)四月 下石戸村栄太夫並びに荒井村熊次郎借用金滞り出入一件
  (下石戸上 吉田眞士家文書四六)
(表紙)

     文政八年
  荒井村熊次郎江  証文金滞一件
  相懸り候
     酉四月
                  」
  乍恐以書付御訴訟奉申上候
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村
       訴訟人  名主 栄 太 夫

 証文金滞出入 当御知行所
        同州同郡荒井村
         相手 組頭 熊 次 郎
文政六未年正月証文
一金拾五両
右訴訟人栄太夫奉申上候、相手熊次郎儀無拠入用有之金子借用仕度旨加判人一同連て申入候ニ付、書面の金子用立遣候処、対談日限相過候て返済無之ニ付度々催促ニおよび候得共、等閑の挨拶ニて難儀至極候間、先方加判人并村役人江済方致呉候様掛合候得共、一同不法の挨拶申募一向取敢不申候間、無是非今般御訴訟奉申上候、何卒以 御慈悲相手熊次郎被 召出御吟味の上、滞金元利共済方被仰付被下置候様奉願上候、以上
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村
 文政七申十一月 訴訟人 名主 栄 太 夫

 牧野藤五郎様
    御役人中様
前書の通 牧野藤五郎様御屋敷江御訴訟奉申上候間、何卒以 御慈悲御添簡被成下候様奉願上候、以上
     当御知行所
      武州足立郡下石戸上村
 申十一月  訴訟人  名主 栄 太 夫
 御地頭所様
  御役人中様

     乍恐以書付奉願上候
牧野中務様御知行所武州足立郡下石戸上村名主栄太夫奉申上候、当御知行所同州同郡荒井村組頭熊次郎相手江証文金滞出入申立、去申十一月 当御屋鋪様江奉出訴候ニ付、相手熊次郎被 召出当酉正月下旬迄ニ村方ニおゐて済方可仕旨被仰付候趣、私方江も被 仰渡難有承知奉畏罷在候処、今以一切懸合も無之難儀至極仕候間、何卒以 御慈悲相手熊次郎被召出済方被付被下置候様猶又偏奉願上候、以上
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村  
 文政八年       名主 栄 太 夫
 酉四月
 牧野藤五郎様
    御役人中様

     乍恐以返答書奉申上候
御知行所武州足立郡荒井村組頭熊次郎奉申上候、牧野中務様御知行所同州同郡下石戸上村名主栄太夫より私江相掛貸金出入申立当御屋敷様江御訴訟申立候ニ付、私儀被 召出御尋ニ付右始末乍恐以返答書左ニ奉申上候、此段私儀は年来農業の間紺屋渡世相営罷在候処、去ル卯年当村名主平兵衛儀申聞候は、同人実家下石戸上村名主栄太夫手製の藍玉所持ニ付、外々よりも右品買入度旨依ては右買入并売捌等の世話致呉候様、右栄太夫申立候趣を以当村名主平兵衛儀無余儀相頼候ニ付、任其意同年より売買共夫々世話致候中、給金は何程可遣哉の旨栄太夫より相談有之候得共、右は当村名主平兵衛江談可及挨拶趣相答罷在右藍玉買入の砌栄太夫同道いたし請世話仕候処、初年は右世話料ニも候哉同年暮ニ相成白米荷駄送遣、且買入并代金は栄太夫直払ニいたし売先掛方等同様直帳合ニて、私儀は去ル卯年より巳年迄三ヶ年の間売買の世話仕罷存処、去ル午年ニ相成洪水ニて村々水難ニ逢栄太夫儀藍玉売買見合居、然ル処右売掛滞有之分私江取立候様申立ニ付度々掛方催促ニ罷越候得共、難渋の年柄故渉取不申取立方自然と延引ニも相成居候処、栄太夫申聞候は右売掛取立残金凡金拾四両三分程有之候間、右売揚私江相議候ハゝ取立方も可捗取ニ付、右掛方帳面共相譲可申間精々取立入金可致、依ては右掛方滞の分私より借用証文差入可申旨達て申聞金拾五両借用証文相認遣候間、前段の趣故任其意右借用証文江調印仕相渡置候処、右掛方帳面も不相渡去申六月ニ相成厳鋪催促有之素々困窮の私当惑仕候得共、前文通の対談ニ付取斗方も可有之と存両度ニ金弐両壱分才覚調金仕、当村名主平兵衛方江相渡同人と入金致候得は、右の差引も無之其上前書対談違替右証文面を以御訴訟申上候段余り勝手儘の儀と当惑至極ニ奉存候間、何卒格別の以  慈悲前段の趣被為聞召、訳元の栄太夫より被相頼藍玉売買世話いたし売掛残金為取立の同人任申私借用証文ニ致置候間、此上 御仁恵を以対談の通掛方帳面相渡候ハゝ精々取立入金可致候間、連々請取呉候様被 仰付被成下置度 御憐愍の程幾重ニも奉願上候
     当御知行所 
      武州足立郡荒井村
 文政酉年四月     組頭 熊 次 郎
  御地頭所様
     御役人中様

     乍恐以書付奉申上候
牧野中務様御知行所武州足立郡下石戸上村名主栄太夫申上候、当御知行所同州同郡荒井村組頭熊次郎江相懸証文金滞出入申立当御屋鋪様江御訴訟奉申上候ニ付、相手熊次郎被召出当時御吟味中ニ御座候処、同人より奉差上候返答書の始末猶又以書付御答可奉申上旨被仰渡候ニ付左ニ奉申上候
此段相手熊次郎より返答書を以奉申上候は、私儀去ル卯年手製の藍玉所持に付外々よりも右品買入度、依ては買入并売捌等の世話致呉候様荒井村名主平兵衛を以相頼候二付、無余義卯年より巳年迄三ヶ年の間世話仕買入并代金は私直払ニいたし、売先掛懸方等同様直帳合ニて右売懸取立残金凡金拾四両三分程有之候処、右売揚熊次郎江相讓候ハゝ取立方も可捗取ニ付掛方帳面共相議可申間精々取立入金可致、依ては右掛方滞の分借用証文差入可申旨達て申聞金拾五両借用証文相認遣候間、任其意右証文江調印仕相渡候処右掛方帳面も不相渡、且去六月両度ニ金弐両宮分才覚調金仕荒井村名主平兵衛方江相渡同人より入金致候得共、右の差引も無之其上対談違替右証文面を以御訴訟申上候段、余勝手儘の儀と存当惑至極ニ付対談の通掛方帳面相渡候ハゝ精々取立入金可致候間、速ニ請取呉候様仕度趣申上候得共、右熊次郎申上候は全偽りニて右金の儀は同人義農業の間紺屋渡世仕罷仕候処、去巳午両年打続水旱損ニて諸方金銭詰ニ相成触通必至と差支、紺屋渡世取続も出来兼候程の仕合故、其年六月紅花小麦等出来いたし候迄達て借用いたし度旨相歎候ニ付、数年致居候紺屋相休候儀を気の毒ニ存無余義私義も他借等仕、漸調金六月返済日限ニ相成、若金子出来兼候ハゝ同村親類小吉并名主平兵衛両人ニて熊次郎持分の内田畑引請并済可致対談ニて、名主加判の証文取之用立遣候義ニ御座候、然ル処今更其砌の実意を忘却いたし種々偽を相巧ミ、且去申六月両度ニ金弐両壱分加判人名主平兵衛を以私方江入金いたし候得共、右の差引も無之旨申上候得共、私ニおゐて請取候儀決て無之返金相滞候のみならず、右様不軽義等迄申懸ケ被致世間の聞江も如何鋪甚以難儀至極ニ奉存候、右平兵衛并小吉の両人も只今存命ニて罷仕候儀ニ座候得共、何卒以 御慈悲御吟味被為訳被下置、不実ニ難渋不申懸滞金済方いたし呉候様被 仰付被下置度偏二奉願上候、以上
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村  
 文政八年       名主 栄 太 夫
     申四月
 牧野藤五郎様
   御役人中様

     預り一札の事
 一済口証文壱通
右は貴殿より村方熊次郎江相懸り候一件此度我等立入内済懸合相調候ニ付、訴答調印の上来ル六月五日迄金子調達の間慥ニ預り置申処相違無之候、一札仍て如件
       荒井村
        扱人  名主 平 兵 衛
文政八年    下石戸上村
  酉五月  栄 太 夫 殿

  乍恐以書付奉願上候
牧野中務様御知行所武州足立郡下石戸上村名主栄太夫并当御知行所同州同郡荒井村組頭熊次郎外一同奉申上候、私共一件の儀当村御吟味中ニ御座候処、為引合同村名主平兵衛被召出候二付、同人より双方江内実相懸合候処、熊次郎方ニて申立候金弐両壱分栄太夫方江入金いたし候趣の儀、全申懸ケニ相成此上御吟味奉請候ては奉恐入候ニ付、内済相懸合済方仕候筈ニて議定為取替候間、金子調達の間来ル六月五日迄御吟味御日延奉願上候
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村
       訴訟人  名主 栄 太 夫
     当御知行所
 文政八年 同州同郡荒井村
  酉五月  相手 組頭   熊 次 郎
          差添人 同 平左衛門

          引合人
           名主 平 兵 衛
          引合人


 牧野藤五郎様
   御役人中様

     差上申済口証文の事
牧野中務様御知行所武州足立郡下石戸上村名主栄太夫より、当御知行所同州同郡荒井村組頭熊次郎江相懸り証文金滞出入申立、当御屋鋪様江御訴訟奉申上候ニ付、 相手熊次郎并為引合同村名主平兵衛被召出当時御吟味中ニ御座候処、右引合人平兵衛取扱内済仕候趣迄左ニ奉申上候
右出入双方得と及懸合候処、訴訟人栄太夫より奉申上候は、相手熊次郎儀金子借用仕度旨達て申入候ニ付無余義用立遣候処返済無之候故、度々催促ニおよび候得共一向取敢不申旨申立、相手熊次郎方ニ奉申立候は、栄太夫より被相頼候ニ付、去ル卯年より巳年迄三ケ年の間藍玉買入并売捌等の世話いたし罷在候中、売掛取立残金凡拾四両三分程有之、右売揚掛方共譲請候筈ニて金拾五両の借用証文江調印いたし相渡置候処、右懸方帳面も不相渡且又去申六月金弐両壱分村方名主平兵衛を以入金いたし候得共、右の差引も無之旨其外種々申立候処、右平兵衛立入相懸候得共金弐両壱分栄太夫方江入金ニ相成候儀は決て無之、左候上は全申懸ケニ相成候段、熊次郎方より厚ク相詫外申争憤り合の儀は扱人貰請、滞金元利合金拾九両壱分卜銭四百十弐文の内金拾両相手方より差出し、残金九両三分銭四百十弐文の儀は訴訟方ニて不足仕双方無申分熟談内済仕、偏ニ御威光と難有仕合奉存候、然上は右一件ニ付双方より向後御願ケ間鋪儀毛頭無御座候、依之連印の済口証文奉差上候処如件
     牧野中務様御知行所
      武州足立郡下石戸上村
       訴訟人  名主 栄 太 夫
    
     当御知行所
 文政八年 同州同郡荒井村
   酉六月 相手   組頭 熊 次 郎
       差添人  組頭 平左衛門
       引受人  名主 平 兵 衛
       扱 人

 牧野藤五郎様
   御役人中様
前書の通牧野藤五郎様御家敷江昨九日済口証文奉差上候間、此段写を以御届奉申上候、以上
     当御知行所
      武州足立郡下石戸上村
 酉六月十日 訴訟人  名主 栄 太 夫

 御地頭所様
   御役人中様
解説 ここに掲げた一連の資料は、文政二年〜四年(一八一九〜二一)にかけて下石戸上村名主栄太夫が藍玉取引をし、それを手伝った荒井村組頭で紺屋を営む熊次郎との間に生じた一五両のお金の貸借に関する訴訟関係書類である。最初栄太夫が貸金滞納を理由に、相手方熊次郎を荒井村地頭牧野藤五郎役所に訴え出たのに対し、熊次郎は借金は相手が売掛金の取立てを強引に押付けたもので一部は返金したと反論した。再び栄太夫は熊次郎が資金難で紺屋が倒産しそうなので気の毒に思い借金して融通したもので、返金も受取っていないと反論した。そして、最終的には荒井村名主平兵衛が仲介者となり、元利合計一九両一分と銭四ニー文のうち一〇両を熊次郎が返金し、残金は栄太夫負担の棒引ということで示談が成立した。
江戸時代には、民事の訴訟手続を一般的に「出入」(でいり)と称し、旗本領では軽微なものは領主が取り扱ったようだが、原則的に幕府直轄の天領では勘定奉行が、また大名領では藩の役所で審理して判決を下した。しかし、この資料でもわかるようにできるだけ示談による両者の和解を指導する例が多く、これを「内済」(ないさい)と称し、その際取りかわす証書が「済口(すみぐち)証文」である。内容的には喧嘩両成敗とするものが多かった。

<< 前のページに戻る