北本市史 資料編 近代

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第2章 産業・経済

第2節 近代産業の発展

1 交通運輸機構の整備

121 昭和二年(一九二九)九月 桶川・鴻巣間の中間駅争奪戦
  (『東京日日新聞』昭二・九・ニハ)
  桶川・鴻巣間の中間駅争奮戦
   位置は北部と決定しながら
    着工期を過るも放任
桶川・鴻巣両駅間六マイル二分は高崎線中随一の・長距離で、こゝへ中間駅を新設してほしいと隣接八力町村長はじめ躍起の運動を起したのは、今より六年前の大正九年中で
 鉄道事故(列車衝突)頻繁、農産物各種の集散夥多、及び前記駅間長距離等の理由を付し現中丸信号所付近を設置場所とし、同十三年仙石鉄相あて出願したが、鉄道省では敷地および建築費三万円の地元寄付を要するとの意向を示したので、右寄付金の支出能力に乏しき南部地方の位置を北部寄りと変更し関係八ヵ町村長以下の同意調印をとり追順運動をしたところ、その後本省では地元負担を減じ寄付金一万円だけで希望どおり新駅設置を認可することに認可変更を見たところ、最初寄付資力乏しきのゆえを以て北部に位置をゆづった南部地方(字北中丸を中心とする)有志が、ー万円で済むことならと叛旗をひるがへし猛烈に位置奪還運動を起したので、はしなくもこヽに南北両派の争奪運動がまきおこりために省議の決定が遅れたが、本省では昨年の議会の協賛をへ位置を北部とし工費予算六万円を計上し本年六月起工明、三年度竣成のことに確定し、起工設計その他準備万端をとゝのへまさに着工するばかりに進捗した矢先、今春四月政変とともに右設置問題もうやむやに葬りさられんとし竣工予定期をすぐる三カ月にいたる今日なお放任されてゐるので、地元民はやっきとなって促進運動を開始したがこの間某政党巨頭がしきりに策動し、入党書調印を条件とする餌をまいてある種の道具にせんとしてゐるやに伝へられてゐる

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