北本市史 資料編 近代

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第3章 北本の教育

第4節 戦時体制下の教育

227 昭和十八年(一九四三)七月 荒川河川敷への勤労動員計画案
   (『毎日新聞』昭一八・七・七)

食糧増産聯合計画のひとつとして県は荒川河川敷五十七町歩の開墾を計画、さきに内原訓練所義勇軍九十名の応援を得て着々と開墾作業が続けられてゐるが、稗の播種を目標に労力不足の問題に当面、各地商口勤労隊の出動を目論んだが依然人手が足らず、こゝに応急策として学徒の第一回勤労動員を行ふこととなった。

さて問題となるのは各中学校とも丁度試験期と合致するので、試験を繰り延べて増産に挺身させるかといふ点に関し六日県農政・教学両課で鳩首協議した結果、食糧増産こそ目下緊急を要するので、とりあへず七日午前十時から埼玉会館に関係廿一中学校校長の参集を求め、出来得る限り試験終了の学校から先に動員、止むを得ぬ場合は試験期を繰り下げても食糧絶対増産に延人員八千二百余の学徒緊急動員を断行することとなった、勤労動員計画案次の通り(括弧内は出動地区)
 ▽第一区浦商二百名(土合)、浦中百名(大久保)、同百名(植水)、与野農商百名(馬宮)▽第二区粕中百名(指扇)、大宮工百名(平方)、武陽実百名(川田谷)
 ▽第三区熊中百名(北本宿)、熊農百名(馬室)、熊商五十名(田間宮)、同五十名(小谷)▽第四区志木商八十名(大和町)、同八十名(内間木)、埼中八十名(美笹)、川口中・川口工各五十名(戸田町)、浦一女二百名(蕨町)、県当局談 食糧増産は政府の三大応急対策要綱の一つとして決定されたことで是が非でも万全の処置を講じなければならぬが、一方試験期を繰り延べるといふとも学校当局として慎重に研究せねばならぬ問題で、とりあえず関係校の当事者に相談して試験終了の学校から先に出動するやう日割を定めたいと思う、計画通り動員出来ぬ場合には一部試験の日延べも止むを得ないでせう。

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