北本市史 資料編 現代

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発刊にあたって
北本市教育委員会教育長 峯尾  榮
北本市史第五巻「近代・現代資料編」を発刊するはこびとなりました。本書に収録された資料は、激動の明治維新よりはじまり、明治・大正・昭和四十六年の北本市制施行に至るまでの百年有余にわたる北本の発展の足跡を物語っております。
江戸時代の天領・旗本領・寺社領からはじまり、十七世紀中頃よりは一四か村に分れていたこの地域も、明治二十二年の町村制施行によりこれらの村々が合併してほぼ中山道を境に東に中丸村、西に石戸村が誕生しました。
やがて高崎線の開通に伴い荒川を利用した水運も次第に鉄道にその地位を譲り、肥沃な土地に恵まれた畑作を中心とする近代的な農村への歩みをはじめたわけであります。
日清・日露の戦役、大正ロマンの時代、第一次世界大戦、そして関東大震災を経て昭和の時代へと時は移り、北本駅の開設となり更に近代化が進みました。満州事変にはじまる第二次世界大戦のさ中の昭和十八年にこの二村が合併して北本宿村が誕生しました。戦禍を避けて東京より疎開した多くの人々も戦後はこの地を第二の故郷として定住し、新興北本宿村への新しい息吹きを吹きこんでくれました。
東京まで約一時間の通勤圏にある地理的な好条件に恵まれた北本は、その豊かな自然と共に東京のベッドタウンとしての性格を強め、人口も増し昭和三十四年町政施行、三十年代後半よりは県営住宅、住宅公団の宅地造成と相俟って、人口も三万人を突破、昭和四十六年市政施行を行って現在に至っています。
現在北本市は「緑に囲まれた健康な文化都市」を目指し、「都市基盤が整備された快適なまちづくり」「安全で健康なまちづくり」「学ぶ意欲にあふれたまちづくり」「活力に満ちた地域社会づくり」を基本理念として、全市を挙げて新しいまちづくりを行っています。
三十年代、四十年代に定住された方々も、今は名実共に北本市民として北本を愛し、北本の発展に貢献して居ります。この書をひもとき激動の百年をしのび、愛する郷土への思いを新たにしていただければ幸いです。
刊行に当り、数々の貴重な資料を提供して下さった多くの方々、並びに本書の編集にたずさわっていただいた編集委員の皆様に厚くお礼を申しあげご挨拶といたします。
  昭和六十三年三月

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