北本市史 資料編 現代

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 現代

第2章 北本の農業

第4節 畑地灌漑と水田土地改良事業

昭和二十四年(一九四九)、農地改革と並ぶ農村民主化政策の一環として土地改良法が成立する。その結果、かっての維持管理組織である水利組合と、事業組織である耕地整理組合とからなる土地改良組織は、両者の統合体である土地改良区に一元化されることによって、組織的に合理化され、機能的に強化されることになった。旧法では土地所有者すなわち地主・自作農に限定されていた組合員資格が、自作農制の原則に基づいて、耕作農民のすべてに開かれたことにより、土地改良事業の性格自体も地主の利益を追求する地主営的なものから、農民利益のすべてを集約したものに大きく変化した。
資料70は、土地改良法の成立後四年を経て、ようやく実施をみた土地改良区への組織変更願と、これに伴う定款を掲出したものであり、資料72は、関係市町村別地目別受益面積のうち、北本関係分と用排水系統一般図を抜粋したものである。
食糧増産を柱とする戦後復興期段階の農政は、土地改良法をはじめ各種の地域時限立法、制度資金制度などをパイプとして団体、個人を問わず万遍なく各種補助金や生産奨励金を交布した。これら一連の行政投融資と米価の引上げとが、農地解放の成果と相まって、農民の生産意欲、ひいては土地改良意欲を高め、事業地域の増加をもたらした。
北本の場合、水田を対象とした土地改良事業では、古市場と宮内の元荒川支派川がかり水田の補給水用揚水機場の設置(資料71・75)や、谷津田の水源用揚水機場の設置(資料74)などが行われた。また、畑地改良の事例としては、陸稲の収穫安定や陸田水稲栽培を目指して、関東ローム層からなる旱魃常襲地帯にふさわしい畑地灌漑施設の普及が推進された(資料69)。
他方、高度経済成長下の近郊農村として、北本東部や石戸宿では区画整理と農道整備が進められた。前者は資料73が示すように近郊野菜栽培の条件整備であり、後者は労働生産性の向上を企図した土地改良事業であった(資料76)。

<< 前のページに戻る