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第4章 職人と技術

第1節 日常生活と職人

6 オケヤ(桶屋)

昭和三十年代の後半、合成樹脂の急速な開発によって衰退を余儀なくされた職人にカゴヤがあるが、オケヤも同様にそのあおりを受けて仕事がなくなった職業の一つであった。

図8 タル底とオケ底

宮内の星野勝衛さん(大正五年生)は小学校の高等科を出てすぐに奉公にでた。父親の代から高尾でオケヤをしていた。二男でもあったが、他人の飯を食った方がよいというので昭和二年、一二歳の時奉公にでた。奉公先は鴻巣の玉井(酒の醸造元)出入りのオケヤであった。その当時は、ほとんど小遣いはもらえず、一年でタビ一足をもらえただけであった。修業の三年間は竹けずりだけで、あとは他人のやるのを見ながら覚えていくものだとしか言われなかった。七年間の年季を勤めあげ、五〇円もらって兵隊にいった。兵隊から帰った時は二〇〇〇円ほどの現金を持っていたが、新円切り替えとインフレで、ほとんど役に立たず、米を買っただけですぐになくなった。父親から土地をやるといわれたが、すべてことわって、まったくの無一文からオケヤを始めたといってよい。
タル(樽)とオケ(桶)のちがいは、底板のヘリのとり方が違う。タルは杉板のマサメ(征目)で作り、竹タガで締めて水もれがないように心がけて作ったものであるが、オケと違って乾燥に弱かった。オケはサワラ材を使ったもので、アカ(銅)のクミタガや、バンドタガで締めているが、昔はみな竹のタガであった。タルやオケ作りはタガのかけ方が大切で、これを掛けることをシメカガリといった。タガのシメカガリは、伏せた品物の底部から上部へとタガを締めていく。この時のタガにする竹は上が厚く、下が薄くけずられており、これをシメギで平均的に締めていく。

写真8 道具

(宮内 星野勝衛氏宅)

写真9 道具

オケヤの仕事は仕事場でオケやタルなどを作る以外に、農家や酒屋(醸造元)に頼まれていく仕事が多かった。農家の仕事は、冬場に向けての漬物タルのタガのつけ替えが主なものであったが、風呂オケや下肥オケやオヒツ(お櫃)などの修理もした。農家では朝・昼・晩、食べさせてもらったものであった。酒屋の仕事は請負い制であった。したがって、親方になると、ニンク(人工ー工賃)が二五人ニンクの場合はそれを二〇人ニンクで仕上げさせ、五人分の二ンクは手間賃として親方のもとに入ったものであったという(二ンクとは、一人一日の仕事の手間賃をいう)。渡り職人として歩いた時は、茨城・福島方面のミソダル作りなどが良い仕事であった。田舎の酒屋(醸造元)は東京あたりで一度使った四斗樽を買って使ったものである。また、造り酒屋から売り酒屋に酒が運ばれた時は、四斗樽で一升分の酒が樽に吸いこまれているものなので、売り酒屋では、酒が運ばれてきた時には、水を一升分樽の中に加えるという。したがって、酒屋の酒は造り酒屋の酒に比べて水っぼいものだという。

図9 竹タガのけずり方

図10 風呂オケと木どり


図11 オケヤの道具

<道具>
カタ
オケ作りで重要なのは、オケやタルの丸みをつけるため、板を組み合わせる時の勾配をつける、板で作った道具である。これは直径五寸(一五センチ)のオケを作る時のカタから、三分〜五分おきに型どりをするカタがあって大きなものは三尺(九〇センチ)物の型どりをするカタまであるので、都合二〇本以上のものが用意してある。このカタは、それぞれのオケ職人が自分で作るもので、決まった形はないが、勾配を決める曲線と、曲がりを合わせる直線だけは均一である。
カンナ
外側の仕上げをする凹型の外マル、内側の仕上げをする凸型の丸ガンナの二種類が用いられるが、大きさによって、何丁かのものがある。また、合わせ目の面を削る平カンナは、一メートル以上もある安定したショウジキ(正直)台にすえてもちい、それぞれ、二枚カンナが使われた。また、平カンナは、その台の傷みを防いだり、すべりをよくするために、つぼ状のものに布を入れて、これにゴマ油をしみこませたものをその面に塗る工夫もされている。
シメギ(締め木)
タガを締める道具のことをシメギ(締め木)という。これは長さ一〇センチに幅四センチほどの長方形のものからオケの大きさに合わせて大小あり、堅い木をもちいて作る。シメギはオケの丸みに合わせて凸型をしており、タガにあたる部分には丈夫な金物が打ちつけてあるものもある。


写真10 桶屋タガ

写真11 ノコ

写真12 カタ


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