実録まちづくりにかける集団
第2編 「わぁ、つくしんぼみたい、わたしのおうち」
あそびの学校が歩んだ十三年
参考資料
体験に勝る学習はない 『危険』を身につけてこその『安全』
はじめに
近年、特に犯罪の低年齢化が問題視されている。「いじめ」に代表される陰湿なものや、家庭内での粗暴な事件など後を絶たない。極めて憂慮すべきことである。しかし、こうしたことは本当に最近発生したことなのか。
私の住む北本市は、埼玉県のほぼ中央に位置し、東京から四十㎞という地理的条件により、昭和三十年代後半から人口が急増し、都市化が急速に進展した町である。それだけに、まちに対する愛着や地域に対する関心が低く、まちづくりに少なからず影響を与えていたといえよう。特に、青少年問題については、これまでも校内暴力事件で、学校へ警察を導入したり、教師による体罰事件など、今日全国的に抱えている種々の問題が発生している。こうした環境の中で、次の世代をになう青少年を健全に育成することは、親を中心とした家庭だけの問題でなく、地域社会が一体となって育成していくことが必要であり、まちづくりの一つであるという声が台頭してきた。
このような世論を受け、昭和六十三年、青少年育成市民会議設立準備会を発足させ、平成元年に設立した。もちろん、簡単にスタートしたわけではなく、準備会の一年間にわたる激論の中から、「自分たちのまちではこうあるべき」という指針をたてて発足したのである。「知恵のあるものは知恵を、金のあるものは金を、時間のあるものは時間を提供し、知恵も金も時間もない人は黙って応援しよう」を合い言葉にし、みんなで関わり合い、育て合う市民会議として、現在も活発に活動している。
文部省「青少年ふるさと学習」との出会い
「昔のガキ大将募集」。これは、平成二年に私が初めて仲間を募集したときのキャッチコピーである。
このころ文部省は、青少年のふるさと意識醸成と、体験学習を基本とした学習活動を支援する「青少年ふるさと学習推進委託事業」を行っていた。
早速、エントリーをし事業計画案を提出した。一つは、子供達の体験を通した学習活動「遊びの学校」であり、もう一つが、新しい文化の創造活動としての組和太鼓の創設である。ともに、私の長年の構想でもあり、夢の体現と一致するものだが、今年で九年目を迎えることになり、よくもまあ続いているなあとの思いが一杯である。文部省からの委託事業は、一年間だけであったが、私たちは、これを契機に市の助成などをもらい今日まで続けている。
組和太鼓については、子供の部、青年の部、成人の部などとして立派に成長し、北本の新しい郷土文化として、着実に定着しつつあり、さらに、一昨年・今年と米国オレゴン州ポートランド市のローズフェスティバルに参加し、国際交流でも活躍している。組和太鼓活動は別の機会に譲るとして、ここでは「遊びの学校」について紹介してみたい。
ガキ大将集団づくり
どんな活動でも、好き勝手に集まっただけで運営することはできない。集団自体が、一つの理想と信念によって意思統一されていなければならない。まず、指導者としての仲間集めからのスタートとなり、それが「昔のガキ大将募集」というコピーとなったのである。
私と同世代で、子供の頃は常にポケットにはナイフを持ち、山野の植物をおやつ代わりとして、自然の中で遊んだ時代のガキ大将達が絶対に必要と考えたからだ。このことは同時に、絶対的なリーダーシップを持ち、チームワークづくりの難しさを理解しており、同じ目的に向かって進める仲間づくりが可能と考えたからである。
スタート時から現在まで共にやってきたのが、吉田勲・西條覚両氏であるが、彼らを中心に当初十名ほどのメンバーが集まった。以来、回を重ねるごとに仲間を増やし、現在は約三十名ほどのガキ大将集団ができあがっている。私たちの集団は、様々な特技を持ったものが集まっている。野外料理の達人、工作の名人、刃物なら何でも使いこなす人、レスキューの専門家、魚の専門家、野外活動なら何でもお任せの人、子供を遊ばせる名人、簡単な道具なら何でも作ってしまう達人など、全くユニークな人材が集まっている。
私たちの活動は、年間スケジュールが決まると、自然にその担当が決まる。今回の科目は誰がリーダーなどと迷ったことは一度もない。参加しているそれぞれが、自分の出番を知っているのである。そして、大筋の打ち合わせをすることで、誰がどうサポートするかは、話し合ったことがない。押しつけられた集団でなく、自分たちが好きで集まった集団の強みであるかもしれない。 この集団が、毎年新しいカリキュラムを作り、市内の子供達と共に進めているのが「遊びの学校」なのである。
遊びの学校
「家庭で教えられないこと」「学校ではできないこと」そして「自分たちがやって楽しいこと」を大前提として、様々な事業を展開している。簡単な野歩き、縄文土器づくり、手作りテントでの宿泊、ジュースの空き缶やビニール袋での炊飯、炭焼き、着衣泳、竹鉄砲作り、などその時によって様々な題材を取り入れるのである。はじめの頃は、小学生を対象とした事業で進めてきたが、五年ほど前から「大人も一緒に学ぼう」と、三分の一だけ大人を交え、毎年六十名ほどの受講生を募集し、単年度事業の繰り返しとして運営してきている。
あるとき「手作りそばが食べたい」というメンバーがいたことから、「じゃあ、畑作りから体験させよう」ということになった。農家から畑を借り、耕して種をまき、育成して収穫、石臼を探してきて粉をひき、手打ちそばを作るという四ヶ月をかけたチャレンジは、参加した子供達にとって生涯忘れることのない体験となったようである。そばを一杯食べるために、こんなに手間暇をかけ、一生懸命世話をしなければならないことを知り、家庭で好き勝手を言っていた自分が恥ずかしいといった子供もいた。
神秘の世界の感動
毎年夏の夜、セミの羽化とホタルの見学会は、欠くことのできない科目の一つになっている。私たちが子供の頃はどこででも見かけた風景だが、最近の子供達にとってはほとんど見るチャンスはないようだ。夕方、桜の土手に集合し、樹下からはい上がってくるセミの幼虫を見つけ、その行動を観察する。観察とは対話であり、虫と子供の会話である。さらに、心の交流でもあるのだ。のそのそとゆっくりした足取りで、自分の止まるべき場所を探し回り、ここと思うところにたどり着くまでに、優に一時間はかかる。その間、子供は虫と対話し、心の交流をしているのである。場所が決まると、脱殻の準備にかかるのだが、背中が割れ出すまでさらに二十分ほど。やがて、薄緑かかった美しい白色の胴体を現しはじめる。三十分ほどすると、胴体の大半が露出してくるが、そのうち、体を反転させて足を出してくる。「うわー、きれい」と子供達が歓声を上げるのが、このときである。暗闇の中に懐中電灯で照らし出された、セミの抜け出たばかりの胴体の美しさは、何とも形容しがたい、有る種神々しさをもった別世界のもののようでもあり、まさに神秘の世界になる。
この時点ではまだ羽は伸びきっておらず、さらに三十分ほどかけて、純白に近い羽を伸ばし、体を乾かしながら成体していくのである。足下の幼虫を見つけてから、およそ二時間半ほどの神秘の世界は、同時に感動の世界でもある。 「セミは、卵からこの瞬間を迎えるまで、およそ七年の年月を要するのです。そして、成虫になってからの命は、ほぼ七日間といわれています。」という解説をしたとき、子供達からは「セミって大変なんだなー、一週間だけど一生懸命生きてね」という素直な感想が聞かれた。まさに、家庭でも学校でもできない学習が、そこに存在しているのである。「自然の中にあるものはそれを利用し、無いものは自分たちの創意で作っていく」、これが私たちの体験学習の基本精神であり、「工夫する知恵」を養うことの大切さを、誰よりも良く知っているのが、吉田・西條両氏をはじめとする多くの私たちの仲間なのである。
ナイフを使おう
今年は、全国各地で青少年のナイフによる事件が相次いだことで、子供達からナイフを遠ざけようという気運が高まっているようである。私たちは、何とも釈然としない思いが強く、今年のカリキュラムはあえてこの問題に挑戦することにした。「危ないから遠ざける」というのはとんでもないことだと考えている。「なぜ危ないのか、どうすることが危なくない正しい使い方なのかを教えなければ」ということから、今年度は「ナイフを使いこなそう」をテーマとした。できるだけ多くの、いろいろな刃物を準備し、これらを正しく使うことによって「凶器」と「道具」「玩具」の違いを学ばせることをねらいとしている。
私たちの子供の頃は、ナイフは必需品であった。使い方も、ガキ大将の指導により、いつの間にか覚えていた。「どういう状態ならケガをする、ケガをしないためにはどうするか」といったことは、体験を通して覚えてきたことである。「危ないから遠ざける」では、なに一つ問題は解決しないであろう。「体験に勝る学習はない」という私たちの基本理念は、こうして実践に移されている。
子供達の感受性は素晴らしいものである。大人が本気で伝えようとすれば、正しく受け止め、きちんと理解を示すことができる。特に、今年は「刃物」がテーマとなっている。一つ間違えれば、自分がケガをするだけでなく、他人を傷つけることさえある。時として、絶対に事故が起きないと分かって、他人の側に刃を向けることがある。私たちは、この瞬間も見逃すことなく、子供達を叱りとばす。「たとえ、どんな状況にあっても、決して他人の側に刃を向けてはならない」ことを、その場で教える。また、使う刃物は非常に良く切れるようにしてある。刃に触れただけで、ケガをするようにしてある。このことは、逆に大ケガをさせないための配慮である。
ナイフの使い方、ナタの使い方、ノコの使い方、包丁の使い方、キリの使い方など、細かい指導を続ける。子供達は、私たちの真剣さを理解し、いつでも素直に答えてくれる。不思議なことに、ケガをするのは大人の受講生の方が多い。頭が先行する大人と、言われたことを忠実に守る純真な子供の違いのようである。当たり前のことを、当たり前に受け取れなくなるのが、大人なのかもしれない。
ルールを守ることの大切さ
私たちの活動の中では、世間でいうところのいわゆる「体罰」はある。悪いことをしたり、ルール違反をすれば罰せられるのは、当然のことと考えている。一人の勝手な行動が、仲間全体に迷惑を及ぼすことが多々ある。また、私たちの活動は、時には危険と背中合わせのこともある。責任と自覚を持ったリーダーの行動は、必ず理解をされる。命がけの取り組みに、安易な妥協は禁物である。悪いことは悪いと、その場で教えなければならない。もちろん、子供達のすばらしさを発見したときは、躊躇することなく、みんなの前でほめてやる。当たり前のことである。
最近は、何でも「人権」という言葉で包んでしまい、本当に叱ることの大切さ、ルールを守ることの大切さを曖昧にしているように感ずる。「いけないこと」はどこまで行ってもいけないことであり、ルールは守るために存在しているのである。人と人は、真剣に本音で話し合い行動すれば、誰とでも分かり合えるものである。私たちのこの考え方は、これからも変わることなく、昔のガキ大将集団が続く限り継続していくことであろう。「人を思いやる心は、自分を大切にすることから始まる。」体験を通して、子供達は立派に成長してくれるものと信じているからである。
北本市社会教育委員会 平田正昭
はじめに
近年、特に犯罪の低年齢化が問題視されている。「いじめ」に代表される陰湿なものや、家庭内での粗暴な事件など後を絶たない。極めて憂慮すべきことである。しかし、こうしたことは本当に最近発生したことなのか。
私の住む北本市は、埼玉県のほぼ中央に位置し、東京から四十㎞という地理的条件により、昭和三十年代後半から人口が急増し、都市化が急速に進展した町である。それだけに、まちに対する愛着や地域に対する関心が低く、まちづくりに少なからず影響を与えていたといえよう。特に、青少年問題については、これまでも校内暴力事件で、学校へ警察を導入したり、教師による体罰事件など、今日全国的に抱えている種々の問題が発生している。こうした環境の中で、次の世代をになう青少年を健全に育成することは、親を中心とした家庭だけの問題でなく、地域社会が一体となって育成していくことが必要であり、まちづくりの一つであるという声が台頭してきた。
このような世論を受け、昭和六十三年、青少年育成市民会議設立準備会を発足させ、平成元年に設立した。もちろん、簡単にスタートしたわけではなく、準備会の一年間にわたる激論の中から、「自分たちのまちではこうあるべき」という指針をたてて発足したのである。「知恵のあるものは知恵を、金のあるものは金を、時間のあるものは時間を提供し、知恵も金も時間もない人は黙って応援しよう」を合い言葉にし、みんなで関わり合い、育て合う市民会議として、現在も活発に活動している。
文部省「青少年ふるさと学習」との出会い
「昔のガキ大将募集」。これは、平成二年に私が初めて仲間を募集したときのキャッチコピーである。
このころ文部省は、青少年のふるさと意識醸成と、体験学習を基本とした学習活動を支援する「青少年ふるさと学習推進委託事業」を行っていた。
早速、エントリーをし事業計画案を提出した。一つは、子供達の体験を通した学習活動「遊びの学校」であり、もう一つが、新しい文化の創造活動としての組和太鼓の創設である。ともに、私の長年の構想でもあり、夢の体現と一致するものだが、今年で九年目を迎えることになり、よくもまあ続いているなあとの思いが一杯である。文部省からの委託事業は、一年間だけであったが、私たちは、これを契機に市の助成などをもらい今日まで続けている。
組和太鼓については、子供の部、青年の部、成人の部などとして立派に成長し、北本の新しい郷土文化として、着実に定着しつつあり、さらに、一昨年・今年と米国オレゴン州ポートランド市のローズフェスティバルに参加し、国際交流でも活躍している。組和太鼓活動は別の機会に譲るとして、ここでは「遊びの学校」について紹介してみたい。
ガキ大将集団づくり
どんな活動でも、好き勝手に集まっただけで運営することはできない。集団自体が、一つの理想と信念によって意思統一されていなければならない。まず、指導者としての仲間集めからのスタートとなり、それが「昔のガキ大将募集」というコピーとなったのである。
私と同世代で、子供の頃は常にポケットにはナイフを持ち、山野の植物をおやつ代わりとして、自然の中で遊んだ時代のガキ大将達が絶対に必要と考えたからだ。このことは同時に、絶対的なリーダーシップを持ち、チームワークづくりの難しさを理解しており、同じ目的に向かって進める仲間づくりが可能と考えたからである。
スタート時から現在まで共にやってきたのが、吉田勲・西條覚両氏であるが、彼らを中心に当初十名ほどのメンバーが集まった。以来、回を重ねるごとに仲間を増やし、現在は約三十名ほどのガキ大将集団ができあがっている。私たちの集団は、様々な特技を持ったものが集まっている。野外料理の達人、工作の名人、刃物なら何でも使いこなす人、レスキューの専門家、魚の専門家、野外活動なら何でもお任せの人、子供を遊ばせる名人、簡単な道具なら何でも作ってしまう達人など、全くユニークな人材が集まっている。
私たちの活動は、年間スケジュールが決まると、自然にその担当が決まる。今回の科目は誰がリーダーなどと迷ったことは一度もない。参加しているそれぞれが、自分の出番を知っているのである。そして、大筋の打ち合わせをすることで、誰がどうサポートするかは、話し合ったことがない。押しつけられた集団でなく、自分たちが好きで集まった集団の強みであるかもしれない。 この集団が、毎年新しいカリキュラムを作り、市内の子供達と共に進めているのが「遊びの学校」なのである。
遊びの学校
「家庭で教えられないこと」「学校ではできないこと」そして「自分たちがやって楽しいこと」を大前提として、様々な事業を展開している。簡単な野歩き、縄文土器づくり、手作りテントでの宿泊、ジュースの空き缶やビニール袋での炊飯、炭焼き、着衣泳、竹鉄砲作り、などその時によって様々な題材を取り入れるのである。はじめの頃は、小学生を対象とした事業で進めてきたが、五年ほど前から「大人も一緒に学ぼう」と、三分の一だけ大人を交え、毎年六十名ほどの受講生を募集し、単年度事業の繰り返しとして運営してきている。
あるとき「手作りそばが食べたい」というメンバーがいたことから、「じゃあ、畑作りから体験させよう」ということになった。農家から畑を借り、耕して種をまき、育成して収穫、石臼を探してきて粉をひき、手打ちそばを作るという四ヶ月をかけたチャレンジは、参加した子供達にとって生涯忘れることのない体験となったようである。そばを一杯食べるために、こんなに手間暇をかけ、一生懸命世話をしなければならないことを知り、家庭で好き勝手を言っていた自分が恥ずかしいといった子供もいた。
神秘の世界の感動
毎年夏の夜、セミの羽化とホタルの見学会は、欠くことのできない科目の一つになっている。私たちが子供の頃はどこででも見かけた風景だが、最近の子供達にとってはほとんど見るチャンスはないようだ。夕方、桜の土手に集合し、樹下からはい上がってくるセミの幼虫を見つけ、その行動を観察する。観察とは対話であり、虫と子供の会話である。さらに、心の交流でもあるのだ。のそのそとゆっくりした足取りで、自分の止まるべき場所を探し回り、ここと思うところにたどり着くまでに、優に一時間はかかる。その間、子供は虫と対話し、心の交流をしているのである。場所が決まると、脱殻の準備にかかるのだが、背中が割れ出すまでさらに二十分ほど。やがて、薄緑かかった美しい白色の胴体を現しはじめる。三十分ほどすると、胴体の大半が露出してくるが、そのうち、体を反転させて足を出してくる。「うわー、きれい」と子供達が歓声を上げるのが、このときである。暗闇の中に懐中電灯で照らし出された、セミの抜け出たばかりの胴体の美しさは、何とも形容しがたい、有る種神々しさをもった別世界のもののようでもあり、まさに神秘の世界になる。
この時点ではまだ羽は伸びきっておらず、さらに三十分ほどかけて、純白に近い羽を伸ばし、体を乾かしながら成体していくのである。足下の幼虫を見つけてから、およそ二時間半ほどの神秘の世界は、同時に感動の世界でもある。 「セミは、卵からこの瞬間を迎えるまで、およそ七年の年月を要するのです。そして、成虫になってからの命は、ほぼ七日間といわれています。」という解説をしたとき、子供達からは「セミって大変なんだなー、一週間だけど一生懸命生きてね」という素直な感想が聞かれた。まさに、家庭でも学校でもできない学習が、そこに存在しているのである。「自然の中にあるものはそれを利用し、無いものは自分たちの創意で作っていく」、これが私たちの体験学習の基本精神であり、「工夫する知恵」を養うことの大切さを、誰よりも良く知っているのが、吉田・西條両氏をはじめとする多くの私たちの仲間なのである。
ナイフを使おう
今年は、全国各地で青少年のナイフによる事件が相次いだことで、子供達からナイフを遠ざけようという気運が高まっているようである。私たちは、何とも釈然としない思いが強く、今年のカリキュラムはあえてこの問題に挑戦することにした。「危ないから遠ざける」というのはとんでもないことだと考えている。「なぜ危ないのか、どうすることが危なくない正しい使い方なのかを教えなければ」ということから、今年度は「ナイフを使いこなそう」をテーマとした。できるだけ多くの、いろいろな刃物を準備し、これらを正しく使うことによって「凶器」と「道具」「玩具」の違いを学ばせることをねらいとしている。
私たちの子供の頃は、ナイフは必需品であった。使い方も、ガキ大将の指導により、いつの間にか覚えていた。「どういう状態ならケガをする、ケガをしないためにはどうするか」といったことは、体験を通して覚えてきたことである。「危ないから遠ざける」では、なに一つ問題は解決しないであろう。「体験に勝る学習はない」という私たちの基本理念は、こうして実践に移されている。
子供達の感受性は素晴らしいものである。大人が本気で伝えようとすれば、正しく受け止め、きちんと理解を示すことができる。特に、今年は「刃物」がテーマとなっている。一つ間違えれば、自分がケガをするだけでなく、他人を傷つけることさえある。時として、絶対に事故が起きないと分かって、他人の側に刃を向けることがある。私たちは、この瞬間も見逃すことなく、子供達を叱りとばす。「たとえ、どんな状況にあっても、決して他人の側に刃を向けてはならない」ことを、その場で教える。また、使う刃物は非常に良く切れるようにしてある。刃に触れただけで、ケガをするようにしてある。このことは、逆に大ケガをさせないための配慮である。
ナイフの使い方、ナタの使い方、ノコの使い方、包丁の使い方、キリの使い方など、細かい指導を続ける。子供達は、私たちの真剣さを理解し、いつでも素直に答えてくれる。不思議なことに、ケガをするのは大人の受講生の方が多い。頭が先行する大人と、言われたことを忠実に守る純真な子供の違いのようである。当たり前のことを、当たり前に受け取れなくなるのが、大人なのかもしれない。
ルールを守ることの大切さ
私たちの活動の中では、世間でいうところのいわゆる「体罰」はある。悪いことをしたり、ルール違反をすれば罰せられるのは、当然のことと考えている。一人の勝手な行動が、仲間全体に迷惑を及ぼすことが多々ある。また、私たちの活動は、時には危険と背中合わせのこともある。責任と自覚を持ったリーダーの行動は、必ず理解をされる。命がけの取り組みに、安易な妥協は禁物である。悪いことは悪いと、その場で教えなければならない。もちろん、子供達のすばらしさを発見したときは、躊躇することなく、みんなの前でほめてやる。当たり前のことである。
最近は、何でも「人権」という言葉で包んでしまい、本当に叱ることの大切さ、ルールを守ることの大切さを曖昧にしているように感ずる。「いけないこと」はどこまで行ってもいけないことであり、ルールは守るために存在しているのである。人と人は、真剣に本音で話し合い行動すれば、誰とでも分かり合えるものである。私たちのこの考え方は、これからも変わることなく、昔のガキ大将集団が続く限り継続していくことであろう。「人を思いやる心は、自分を大切にすることから始まる。」体験を通して、子供達は立派に成長してくれるものと信じているからである。