実録まちづくりにかける集団

北本この人 >> 実録まちづくりにかける集団

第3編 「鼓群奮闘」
   北本太古かばざくら五千日の活動記録

はじめに
ドンドンドドーン、地響きを伴う大きな音の集団「北本太鼓かばざくら」は、一九九一年七月文部省(当時)委嘱による、青少年ふるさと学習事業として「青少年に夢と感動の機会を」めざし、埼玉県北本市に創作組和太鼓として産声を上げた。
「なぜ北本に和太鼓なのだ」、「一体誰が教えるのか」、「北本には伝統のお囃子がある、いまさら組太鼓が育つのか」など、さまざまな批判めいた声が聞こえる中、「一〇年経てば必ず文化になる」、創立者の平田正昭はこともなげに言ってのけた。
昭和の末期から平成初期は、当時の総理大臣竹下登によって、日本中が「ふるさと創生事業」で沸き立っていた。さまざまな省庁が、それぞれ独自の施策として、ふるさと創生事業を展開しており、文部省では青少年活動を旗印に、学習活動を通したふるさと運動に取り組んでいた。同じ時期、埼玉県北本市は、市民が中心で推進する「北本市青少年育成市民会議」を発足させ、その目玉事業を模索しているときでもあった。
市民会議を設立し、その副会長を務めていた工藤日出夫が、文部省によるふるさと事業のニュースを持ち込んだ。単年度事業であったが、予算規模に魅力があった。市町村も同額を拠出するなら、三五〇万円の助成金が受けられる。事業内容は、①青少年にふるさとに関する学習をすること ②学習を通した活動を展開すること ③事業の発表をすることの、三条件を満たせばよいというものであった。文部省で二年目となるこの事業について、埼玉県では受け入れるところがないということもあり、チャンスは巡ってきた。
青少年育成市民会議は、市民が主体となって活動する団体ではあるが、会長には市長新井馨を戴いていることから、市行政も予算支出に合意をし、総額七〇〇万円の青少年事業を受け入れる体制はできた。実行委員長には、同じ副会長を務める平田が名乗りをあげ、文部省にエントリーし、全国三十一自治体の一つとして事業認証がなされた。
基本理念を「青少年に夢と感動の機会を」とし、これまでに取り組んだことのない画期的なものが要求された。副会長黒澤健一・工藤・平田・松本進事務局らによってさまざま検討が繰り返された。本来的にいえば、単年度事業なのだから「なにかド派手な事業」を打ち上げれば、マスコミ受けもするし、世間体もいいかもしれない。しかし、せっかくのチャンスと、大きな金額を一回だけで消化してしまうのはもったいない、ということから、「将来につなげられるものを取り上げたい」という平田の意見が取り入れられた。事業の内容は、①体験学習講座の開催 ②創作和太鼓の設立育成と創作劇の上演 ③青少年市民大会を開催し、そこでの発表会を決めた。
体験学習講座は、当時テレビではやっていた番組、「なるほどゼミナール」をもじったもので、「なるほどザきたもとゼミナール」と題して、体験学習を主体とし、ふるさと北本を、子供たちに学ばせるものを取り上げ、「自然コース」「歴史コース」を設定した。講師は民間人・学校の先生・役所の職員など、北本をよく知る人にお願いをした。
創作和太鼓は、平田が永年温めていたプランでもあったが、あくまでも自分たちの手で作り上げ、子供たちだけでなく、多くの市民も掛かり合える集団作りを目指した。太鼓の製作は、平田が所属していた青年会議所の縁で、愛知県津島市の太鼓師堀田新五郎に協力を求め、無理な条件を承知で引き受けてもらった。リーダー的メンバーには、元ジャズバンドでドラムをたたいていた行田徳恵、お囃子を子供の頃からやっていた福島和彬、ふるさと日向地方で神楽太鼓をやっていた河野長喜らを選んだ。
行田は「自分は洋楽のドラム奏者であり、和太鼓なんかたたいたことがない」と断ろうとしたが「太鼓はおんなじだ、たたけば音は出る」という平田の、強引な口説きに同調し仲間になった。福島は「お囃子に遠慮がある」といって尻ごみしていたが、「新しい文化の創造だ」という平田の熱意に応じた。河野は「昔の経験が生かせるなら」と快く引き受けた。また、青少年育成事業ということで、地元北本青年会議所にもバックアップを依頼した。秋葉清・山中完悟・金子和正・成木雄一・阿部和正といった若手会員が積極的応援を約束した。
創作劇は、公民館活動から独立して活動をしていた、劇団「とんがり山」をまきこみ、劇団のリーダーが脚本を書いた。テーマは、市内にある国指定天然記念物「石戸カバザクラ」を主題とした「風の通り道」が創られた。
こうして、一九九二年二月、各種の活動を終え実践活動報告会としての青少年市民大会が、北本市文化センターで開催された。大会の記念講演は、平田の友人の紹介による、駐日スーダン共和国大使ムサ・モハメド・オマル氏が招待された。彼は、映画「小さな冒険者たちの夢」をプロデュースした人である。十四才の日本人少年が、一人で、マレーシア少年とともにサウジアラビアに、父を探しに行く冒険物語、「小さな冒険者――リトルシンドバット」をテーマに、「体験しなければ本当のことはわからない」というメッセージを、北本の青少年に語りかけてくれた。
会場には、歴史コースに参加した子供達が作った縄文式土器、自然コースの子供達が作った北本の自然アルバムをはじめ、写真による活動状況の展示発表なども同時におこなわれた。そして、劇団とんがり山による創作劇「風の通り道」の上演、最後に北本太鼓かばざくらによる演奏発表など、盛りだくさんのプログラムとともに、多くの市民が参加したイベントは終わった。

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