実録まちづくりにかける集団
第3編 「鼓群奮闘」
北本太古かばざくら五千日の活動記録
第1章 北本太鼓誕生
失敗したら市中引きまわしの刑だ組和太鼓を作りたいという、平田の提案を聞いた黒澤が言った。
平田と堀田新五郎の間で、太鼓の契約が成立した。
「先輩、組和太鼓をやりたい。金は助成金が降りたら払う。予算は少ないが、良い太鼓がほしい。」
「良し、わかった任せておけ。」
実は、このとき平田と堀田とはまったく面識がなく、JC(青年会議所)の先輩後輩という間柄でしかなかった。しかし、これがJC流の絆であるということを、一般の人には理解できなかった。黒澤は、
「まさか、何も無しで依頼するわけにはいかないだろう。」
と、自分の定期預金を崩して三分の一の内金を作り、必要ないという平田に無理やり渡し、堀田に払わせた。一カ月の後、堀田が自分で車を運転して、太鼓を運んできた。四尺の大太鼓一基、一尺五寸の小太鼓五基、締太鼓二基という揃いであった。堀田が平田に言った。
「これでどうだ。いい組太鼓にしてくれ。」
その後、年を重ね団員が増加するにつれ太鼓の数は増やされていったが、基本の揃えが、平田を始めとするスタッフに、大きな責任を課したと同時に、新しい夢の実現と、青少年育成に対する期待が掛けられていった。