北本市の埋蔵文化財

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埼玉県北本市の古代丸木舟

埼玉県北本市出土の古代独本舟(まるきぶね)
清水 潤三
1964年3月われわれ慶応義塾大学考古学研究室においては、埼玉県庁の柳田敏司氏、北本町当局の方々の御好意によって、同町高尾の荒川河床に埋没していた2隻の独木舟の調査を行なうことができた。ここにその概要を記し、併せて御協力下さった方々に対して感謝の微意を表したい。
さて2隻の独木舟は荒川の改修工事によって拡げられた荒川左岸の河床に埋没していたもので、第1号舟は早く発見され、石戸にある小学校に保管されていたものであり、第2号舟は3月23、24の両日にわたり、われわれが発掘調査したものである。
惜しいことに、多くの独木舟がそうであるように、両者とも河床から発見されたゆえ、土器のような時代を判定するに足る伴出遺物を欠いているため、その製作使用された時代を明確に決定することができないが、舟それ自身のもつ特徴が両者とも共通しており、古代独木舟の研究に貴重な資料を提供するものといえる。
いま細部について述べるならば、第1号舟は一端を破損しているが、長さ4メートル62センチ(数字はすべて現存部について記す)、幅が50センチで古代独木舟としては中等度の大きさであり、第2号舟も長さ4メートル52センチ、幅55センチでほとんど同大である。前後端は両者ともかなり破損しているが、長半円形を呈し、極度に尖ることもなく、角形をなさないのも共通の特徴といえよう。舷側もともに破損がいちぢるしく、残念ながら原形を十分に復原しえないけれども、あまり高くはなかったらしく、むしろ舷の低い形式であろうかと考えられる。やや具体的にいえば、現存部でいうと内側で15センチ内外の深さしかない点に注目すべきであろう。
また、これまで多数の独木舟を調査してきた経験からすると、 日本の独木舟は丸木を半分に割ったものを、木の中心部を上にしてえぐってゆき、そのため木の外側の丸みがそのまま底となっている底部の半円形をなすタイプと、丸木の両側を縦に切りとり、一方の平らな面を底にし、他方の面からえぐって船体をつくり出すために平底をもつタイプの二大別が現われているのであるが、この舟は両者の中間的な形態を示し、船底の中央部のみが平坦になっている点が注目されるわけである。
これまでの研究の結果では第一のタイプが縄文文化のものに多く、後者のタイプが土師器、須恵器を伴うことが知られているが、この北本市発見のような例はきわめて少く、従って独木舟の形式からする時代の判定は困難だということになる。しかしわれわれにとっては、それだけに貴重な資料と見なされるのであって、このような重要な独木舟の研究に携わることのできたことを、心から感謝するものである。

第1図 遺跡位置図 1.独木舟出土地 2.宮岡氷川神社 3.中井1号古墳

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