北本市の埋蔵文化財

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中井1号古墳発掘調査報告

横川好富

2.発掘調査の経緯

北本市附近も近年めざましい土地開発の波が押し寄せ、いたるところが工場用地や住宅地等と化している。これらにより高い台地は削り取られ、低いところは埋められ、自然景観をしだいに変えている。
今回調査した古墳(第2図)は開墾とその後の耕作により、墳丘がほとんど削平されていたうえに北、西部は土取り工事により大きく削り取られており、古墳としてのおもかげはまったく残っていなかった。さらに土取り工事はいつまた始められ、残っている古墳にまで及ぶかわらない状態であった。現に調査の記録をとどめるべく写真を撮っている最中、はるかに低くまで削り取られたところで、整地するために動いていたブルトーザーの響きで、シャッターが切れず、作業の中止を申し入れたほどであった。
発掘調査は昭和44年10月28日から30日までの3日間行なわれた。またわずかに盛りあがっている部分に砂質の凝灰炭の小片が散布しているのに注目し、そこをボーリングで精査し内部主体部の範囲を把え、これを中心にA~Cの3トレンチを設定した。
内部主体部確認のためのトレンチを掘りはじめるとすぐに石室の後込めに使用した青灰色~黄灰色の粘土や砂質の凝灰炭が出土した。これらの粘土や凝灰岩はすべて石室内に投げこまれたものであり、内部や側壁等が相当に攪乱されていることが推測された。これらを取りのぞくと築造当時の位置に現存するものはわずかであり、棺床面も全域にわたって攪乱を受けており、明確に把えることができなかった。
周堀はすでに北、西側の土取りによる断面にその一部と考えられるものが現れていた。A・Bトレンチ内でも周掘の一部が確認されたが、Cトレンチでは土層が攪乱されていてはっきりしなかった。さらにBトレンチで周堀が切れていることが判明したため、Aトレンチとの間にさらにE、Fトレンチを設定して追求した結果、幅約5.7mのブリッジの存在が明らかとなった。
またCトレンチの内部主体部に寄ったところから多量の埴輪片が発見されたので、Bトレンチとの間にDトレンチを設けて調査したが、不規則に破片が散布するのみで、埴輪列その他の施設等は確認できなかった。

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