北本の動植物誌 本編 北本市の動植物相概説
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Ⅱ 雑木林と谷津
今日の北本では野生のままの落葉広葉樹林は残っていない.みな二次林と呼ばれる落葉広樹林であり耳なれた言葉でいえば雑木林である.北本には雑木林がかなり広く保存されている.この雑木林はこの書のなかで細田浩がとりあげているコナラ林,コナラーイヌシデ林などである.これらの林の中には落葉広葉樹林内でしか生育できない貴重な生物が生活している.植物でいえばカタクリ,ウバユリ,アマドコロ,ナルコユリ,ホウチャクソウ,チゴユリ,キンラン,ギンラン,ササバギンラン,エビネ,シュンラン,イチャクソウ,イチリンソウ,二リンソウ,イカリソウ,ヤマエンゴサクなどである.これらは守山が指摘したように,天然の落葉広葉樹林と二次林である雑木林が運良く隣り合っていたときに,ごく自然に雑木林に移り住むようになって,現在に生き続けているものである[11].
これらの植物は秋から翌春にかけて,葉が落ちた明るい樹林内で精一杯成長し,開花させ,結実する生活史をもつ.これらの植物とは一風かわるがキツネノカミソリも落葉樹林内に適応した植物である.木の葉の落ちている時期に緑の葉を精一杯ひろげ日差しをうける.やがて葉が茂り林内が暗くなると,いつのまにか葉は枯れている.そして夏になると突然のように花茎だけを伸ばし,オレンジ色の派手な花を開く.つまり栄養器官は林内の明るい季節に生育し,繁殖器官は林内の暗い夏にという具合に分化している.これも一つの落葉樹林への適応である.種の長い歴史のなかで落葉樹林の生活サイクルに自らの成長,開花,結実という生活をみな厳密に規制し確立させている.
そしてみな生育に長い年月を必要とする.イカリソウはアリにより種子が運ばれる.林床で発芽してから開花結実するまでに5年から10年はかかる.カタクリは20年近く生き長らえるが,花をつけるまでおよそ7〜8年かかる.落葉樹林内の肥沃な林床でゆっくりと自らを成熟させる.あまりにも見事な適応により,環境の変動に耐えられないようなひ弱で遺存的な生物が,焼畑跡地から雑木林へという移り変わりのなかで生き続けることができたのは,半裁培という働きかけによる植生の安定性ゆえだったのではないか,と守山は推察している[11].
草本ばかりではない.林内の低木層にはクロモジ,ダンコウバイ,ヤマコウバシ,カマツカなどが生育しているが,これらの低木は上層のコナラやクヌギより一足先に芽を出し,花をつける.これも見事な落葉広葉樹林への適応である.
動物に目を転ずれば,雑木林に生活する代表的なものはゼフィルスと呼ばれる樹頂性のシジミチョウであろう.市域ではアカシジミ,ウラナミアカシジミ,ミズイロオナガシジミ,オオミドリシジミに,県の蝶に指定されたミドリシジミの5種が生息する.ミドリシジミの生活舞台はハンノキで雑木林とは少し違うが,前4種はすべてコナラやクヌギを舞台に生活している.彼等は夏から翌春まで卵で過ごし,早春これらの芽吹きと共にふ化し,柔らかい新芽,新葉を摂食して成長し,葉が硬くなる初夏には摂食を止め蛹になり,梅雨時に羽化する.クヌギ,コナラの葉の柔らかい時だけに成長期を合せた典型的な雑木林の生活者である.
これらの蝶はミドリシジミも含め,日本だけでなく朝鮮半島から中国,ロシア沿海州というように日本海の周縁に分布している.このため周日本海要素といわれる.この周日本海要素の生物は,これらの地域がひと続きの陸地であった時代に分布を拡げたもので,日本への侵入は日本海が日本海湖と呼ばれる湖の時代に中国やロシアから朝鮮半島を経由して,あるいは沿岸州からサハリン,北海道,本州というような陸続きの道を経由して入ってきた.つまり洪積世以前ということになる.したがって洪積世には関東平野の周縁地域には既に生息していて,関東平野への分布拡散に満を持していたものであろう.やがて北本を含めた大宮台地が陸化し,コナラ,クヌギが生育するや否や,これらの蝶も大宮台地に入ってきたものであろう.特に幼樹を好むウラナミアカシジミとゼフィルスの仲間ではないがクロシジミは土着が早かったのではなかろうか.
平地性ゼフィルスと呼ばれるアカシジミ,ウラナミアカシジミ,ミズイロオナガシジミ,ミドリシジミの4種はその幼虫や蛹が北本で本格的に明らかになった蝶である.そのことは偶然でも何でもなく,北本にごく普通に生息していて見つけ易かったからで,それはとりも直さず雑木林が広がっていたことを意味する.雑木林を代表するこれら蝶類のうち,クロシジミは高度経済成長下に絶滅した.巻頭のプレートの中にあるクロシジミの図は北本における最後の勇姿である.またコナラ,クヌギの幼樹を好むウラナミアカシジミの個体数も激減している.また絶滅しかけているミヤマセセリ,コツバメも雑木林の蝶である.
雑木林の代表的な樹種であるコナラ,クヌギの材にボクトウガ幼虫やシロスジカミキリ幼虫が食害し,その傷ついた跡から樹液が出る.これが栄養価に富み,いろいろの昆虫の非常によい食糧になる.早春には各種のキリガ,初夏から夏にかけてはカブトムシ,各種のクワガタ,アオカナブン,クロカナブン,カナブン,シロテンハナムグリ,スズメバチ,ゴマダラチョウ,キタテハ,ルリタテハ,サトキマダラヒカゲ,ヒカゲチョウなどが食事に集まる.樹液は光合成が活発になる初夏から盛夏にかけて多量に分泌され,これを食餌とする昆虫の成虫もまたこの時期に出現する.また林の中にいるシロスジカミキリなどの幼虫を樹皮上からオオホシオナガバチがせわしなく探しまわる.
雑木林はまた秋から冬にかけすべての葉を落とすので,それが林床に堆積し腐葉となる.この腐葉を食糧としてカブトムシ,コカブトが生育する.落ちたばかりの頃は腐葉にならないので,前年の腐葉を頼ってふ化したばかりの幼虫が身体に合った腐葉の量を消費する.しかし腐葉が多くなる春から初夏にかけ,これら幼虫も大きくなり摂食量もふやしていくので,腐葉のでき具合にカブトムシなどの幼虫の成長が同調したサイクルになっている.また枯死した材にはノコギリクワガタ,コクワガタなどが産卵をし,幼虫は枯れた材を食べて成長する.このようにコナラ,クヌギの雑木林は多くの昆虫のすみ家になる.地表ではミスジマイマイやヒダリマキマイマイを追ってヒメマイマイカブリやクロナガオサムシが歩きまわる.小動物の屍にはクロシデムシ,モモブトシデムシが集まる.石戸宿を基産地として記載されたカントウコチビシデムシの生活場所も雑木林だ.雑木林はじつに生命にあふれ,活気に満ちているのである.
北本を含めた関東平野の雑木林は林床にアズマネザサが生えている.この種は年に一度,下草刈りで刈られているときは背丈も低く,草のように柔らかい.しかし放置されると3mから4mにもなり,太さも1cmという立派な篠竹に成長する.こうなると手も足もつけられないという感じで,雑木林に踏み込むすべもなくなる.こういう林で芽生え成長できる植物は,クズなどのツル植物だけになってしまう.ツル植物の成長は早く,またたく間に樹頂までのぼり光合成に必要な光を得る.このような状態は雑木林の死である.
つい最近(1960年頃)までの雑木林は田畑の肥料源や燃料確保の必要性から,こまめに管理されてきた.年1回の下草刈りと枝打ち,20年あるいは30年に1回の伐採による更新という具合で,生命観あふれる林として管理されてきた.この管理によって,放り出しておけば滅亡してしまうような貴重な動植物が温存されてきたのである.ここにいう貴重な動植物とは,前述したような落葉広葉樹林の生活サイクルに100%適応した動植物をいう.カタクリ,シュンラン,エビネ,イカリソウ,ヤマエンゴサクなど可憐でそこはかとない美しさの植物であり,ミヤマセセリ,クロシジミ,ウラナミアカシジミ,アカシジミなどのゼフィルスや,フシキキシタバ,コシロシタバ,マメキシタバなどのカトカラと呼ぶ美しい蛾の仲間であり,ノコギリクワガタやコクワガタなど子供が愛して止まない小さな仲間たちである.
大切なことは雑木林の更新による開かれた場所の存在である.そこにはフジ,アケビ,ミツバアケビ,ノイバラ,サルトリイバラ,ノブドウなどのツル植物や,危急種ノジトラノオをはじめワレモコウ,イタドリ,ホタルブクロ,ミズヒキ,キンミズヒキ,イノコズチ,ヌスビトハギなど様ざまな性格の植物が生育する.北本では絶滅寸前のホソバセセリやジャノメチョウがこういう環境で生息し,珍しいヒメカマキリモドキもここに住む.この種の幼虫はエドコマチグモの卵嚢に寄生する.北本にはエドコマチグモの生息が確認されていないから,近似のヤマトコマチグモかヤサコマチグモの卵嚢に寄生しているのであろう.クモを狩る昆虫ではオオジガバチモドキ,トゲジガバチモドキ,ヒメジガバチモドキなどが記録されているが,これらの生息地もこのような場所である.隣の鴻巣市からはコーノスジガバチモドキが記録されているが,残念ながら今回の調査では採集できなかった.また音色の美しいカンタンもこの場所の生活者である.このように雑木林とその林縁,隣接する草原は多様な生物の生息する場所として重要である.
幸いなことに北本には雑木林として立派にまもられている林もある.この本の細田浩の論著のなかのk一1地点で,雑木林の地権者が「林を大切に 地主」という立て札を立てているという指摘の地である.そればかりでなく市では高崎線に沿った一角の雑木林を買上げて,それを守り管理していくことにした.行き過ぎた管理は好ましくないが,在来の農業の一環としての管理方法による管理がいちばん望ましいことはすでに述べた通りである.
北本市域の特徴は雑木林と谷津(谷地)である.谷津は冬にも涸れることのない湧水を中心に形成される.湧水地は現在市域で11箇所が確認されているが,以前はもっと多く,明治初期には30箇所あまりが知られていた。
この湧水は冬期9℃ぐらいの温かさであり,夏期は18℃前後の冷たさで水温の温度差が少ない.湧水を谷頭として小川が流れ,その周囲に湿地がひろがる.ところにより池沼が形成される.これが谷津あるいは谷地といわれる場所である.こういう場所は開墾して農耕するのには手がかかり過ぎるため,自然状態のまま放置され,そのことが結果として多くの貴重な野生生物を保存してきた.環境庁が指定をした「絶滅の恐れのある野生生物」は,この谷津に生存するものが圧倒的に多い.ホンシュウオオイチモンジシマゲンゴロウ,セスジガムシ,エサキアメンボ,ババアメンボ,ミクリ,タコノアシ,ミゾコウジュ,これらは谷津の生き物である.
自然状態では池や沼の水際線をはさんで,陸地から池沼底にかけて緩い傾斜地形ができあがり,そこに水条件の変化に富んだ生態的ニッチが形成される.ハンノキ,ヤナギ類などの水辺林にはじまり,タコノアシやミゾコウジュを含む湿地植生,ヨシなどの抽水植物帯,ヒシ,メビシ,コウホネなどの生育する浮葉植物带,ウキクサやアオウキクサが浮ぶ浮漂植物带というような景観構成が成立する.このように性質の異なったいくつかの環境が隣接し,そのあいだに環境条件の違いが推移し,生物の移りゆきが見られる場所をエコトーン(推移帯)と呼んでいる.雑木林とその林縁,草原のセットもエコトーンである.このエコトーンは多様な環境条件を具備しているため,まさに多様性に富んだ生物の生育,生息が可能になる.北本市には石戸宿,高尾,北袋などにエコトーンが認められ,豊かな自然景観と多くの貴重な野生生物が息づいている.
水辺林とは水際線から陸地にかけての肥沃で多湿な立地に生育する木本植物群落の通称であり,水際線近くに生育し根系の多くの部分が地下水位より深く張る軟木带と,それより高い土地に生育し地下水位より上に根を張る硬木帯に分ける.軟木帯にはハンノキ,各種のヤナギ類が生育し,硬木帯にはサワグルミ,エノキ,コナラなどが生育している.水辺林は林を構成する木々を直接食害する多くの昆虫だけでなく,野鳥に餌を供給し巣づくりやねぐらの場を提供し,トンボ類など昆虫の休息場所として役に立っている.また枝が水面に影を落とすことで魚の隠れ場をつくり,水に落ちた葉が水生昆虫や底生動物の餌や住み家になる.この水辺林は種の構成が多様性に富むほど他の生物の生活場所としても優れていて,多くの種の生息を可能にする.そればかりでなく陸地からの汚濁の流入を防いで,池沼や湿地を清浄に保つ働きもしている.
湿生植物帯は水際線に近い陸地に発達するものでイヌビユ,アメリカセンダングサ,ミゾソバなど平凡な種からはじまって,やがて各種のスゲ類やヨシ,ヒメシダなどが優占するが,危急種タコノアシ,ミゾコウジュや貴重な種であるエゾノサヤヌカグサもこの植物带の遷移途上の地に生育するものである.この種は背丈60cmほどで,ジグザグに折れ曲った茎に緑色の小穂をつける.北半球に広く分布するが北本のような平地には珍しいものである.また貴重なハンゲショウもここに生育する.ハンゲショウの種子はカモ類が泥とー緒に足につけて運んだり,あるいは飲みこんで運んだりすることで知られている.平野部としては珍しいミズワラビ,ミズオオバコ,ムサシノササグサ,ミズガヤツリ,タタラカンガレイ,オモダカ,ウリカワ,コナギ,チダケサシ,キツリフネ,ツリフネソウなども湿生帯に生育する.ヨシ群落はもっとも地下水位の高い水際線付近を占有し,そのまま水中の群落に続く.
この湿生植物帯は水辺林とともに陸地からの汚濁源の流入を阻止するとともに,多くの動物の生息場所として重要な存在となっている.ホンシュウカヤネズミ,カルガモ,バン,ヒクイナ,ヨシゴイ,セツカ,オオヨシキリの営巣場所であり,ツバメやムクドリのねぐらでもある.昆虫ではゴミムシ,ハンミョウ類やコバネササキリ,キンヒバリ,エゾスズ,ヤチスズ,トゲヒシバッタなどが生息する.特に美しい音色で鳴くキンヒバリと関東平野南部でのエゾスズは貴重な存在である.またトンボ,カゲロウなどの水生昆虫の羽化の場所としても重要である.
抽水植物は水底に根を張り,葉や茎を水面に出す植物でヨシ,マコモ,ガマ,コガマはその代表種である.またフトイ,サンカクイ,カンガレイ,コウホネ,ミツガシワ,ミクリなども背の低い抽水植物だし,レッド・データには登録されていないが分布の限られたタタラカンガレイも石戸宿に生育する.抽水植物带は魚類,エビ類,両生類,トンボ類などが産卵し,その子供が育つ場所として特に大切な場所である.生息場所が限られ希少種とされたエサキアメンボ,ババアメンボ,指定はされていないが珍しいヤスマツアメンボは,抽水植物の茂る狭い水面に追いやられたように生きている.また多くの水鳥のかくれ場となり,カイツブリはこの植物带の中で営巣する.またマコモの葉は食植性のカモ類の餌に利用される.大阪の淀川水系でのオオヨシキリの巣数の調査結果によると,幅が30mのヨシ原では1.25ha当り4個,幅400m以上のヨシ原では1.25ha当り10個の巣が発見された.しかし幅5m以下のヨシ原では巣が見つからなかった.また千曲川のヨシ原でオオヨシキリがもつ縄張りの面積は最小で447㎡,最大で2,056㎡で,平均では856㎡となり,このような縄張りが20~30個成立するようなまとまったヨシ原でないと,オオヨシキリにとって良好な生息場所とはいえない.ヨシ原はこのように重要な野生動物の生息場所なのだが,それはある程度以上の広さを必要とするのである.
蓮沼に見られるヒシ,メビシ,オニビシは水底に根を張り,水面に葉を浮かべる浮葉植物である.この群落は抽水植物群落と同じように魚類,エビ類,両生類,トンボ類などの産卵の場,幼虫が生育する場として重要である.霞ヶ浦の例ではアオコの大発生によりオニビシの大群落が一斉に枯死した例があるが,それは水が富栄養化したためである.
エビモ,ササバモ,コカナダモなどのように,水底に根をもち茎や葉などの栄養器官がすべて水面下にあるものを沈水植物という.これらの植物は抽水植物帯や浮葉植物带の中に混生することも多いが,本来は浮葉植物带より沖合いに生育する.この植物群落も水質浄化や水生動物の生育の場として重要な役割をしている.しかし池や沼の水が富栄養化するに従い,沈水植物群落は壊滅する.
ウキクサ,アカウキクサ,サンショウモなどは水面に浮き漂って生活する植物で,浮漂植物といわれる. これらの植物は必要な栄養塩類をすべて水中からとるため水中の窒素やリンを吸収し除去作用をする働きがある.水面に落ちた昆虫の体液を吸って生活するナミアメンボやコセアカアメンボなども,水質浄化に役立っている.
このように谷津から池沼にいたる一連の地帯は多様な植物帯が認められ,それ故変化に富んだ多様な生物が生活している.そのなかには絶滅が危惧されたり,今では希少になった動植物が生き残っている.ヨシ群落の例で述べたように,これらの植物带も僅かな面積では役に立たず,豊かな動植物相をかかえるにはある程度の広がりがどうしても必要になる.かつては利用に不向きであった谷津や池沼も,土木技術の進歩によってたやすく改変が可能になったため人為的な改変がなされたり,生活雑排水の流入により,水が富栄養化して植物プランクトンや糸状藻類が発生し,沈水植物や浮葉植物を枯死に至らしめたりする.また生活不要品の不法投棄による植物群落の物理的破壊や,有害物質の流出,また地下水位の低下による乾燥化など,いたるところで谷津や池沼の野生生物にダメージを与えている.石戸宿における県の自然観察公園の建設も野生生物の保全に有効に働いているとは思えない.
北本における谷津とそれに続く池沼は,環境庁が指定した危急種や希少種が数多く存在する貴重な自然である.私たちの世代でこれらを絶滅に追いやることなく,十分の配慮をして保全していきたい.
今日の北本では野生のままの落葉広葉樹林は残っていない.みな二次林と呼ばれる落葉広樹林であり耳なれた言葉でいえば雑木林である.北本には雑木林がかなり広く保存されている.この雑木林はこの書のなかで細田浩がとりあげているコナラ林,コナラーイヌシデ林などである.これらの林の中には落葉広葉樹林内でしか生育できない貴重な生物が生活している.植物でいえばカタクリ,ウバユリ,アマドコロ,ナルコユリ,ホウチャクソウ,チゴユリ,キンラン,ギンラン,ササバギンラン,エビネ,シュンラン,イチャクソウ,イチリンソウ,二リンソウ,イカリソウ,ヤマエンゴサクなどである.これらは守山が指摘したように,天然の落葉広葉樹林と二次林である雑木林が運良く隣り合っていたときに,ごく自然に雑木林に移り住むようになって,現在に生き続けているものである[11].
これらの植物は秋から翌春にかけて,葉が落ちた明るい樹林内で精一杯成長し,開花させ,結実する生活史をもつ.これらの植物とは一風かわるがキツネノカミソリも落葉樹林内に適応した植物である.木の葉の落ちている時期に緑の葉を精一杯ひろげ日差しをうける.やがて葉が茂り林内が暗くなると,いつのまにか葉は枯れている.そして夏になると突然のように花茎だけを伸ばし,オレンジ色の派手な花を開く.つまり栄養器官は林内の明るい季節に生育し,繁殖器官は林内の暗い夏にという具合に分化している.これも一つの落葉樹林への適応である.種の長い歴史のなかで落葉樹林の生活サイクルに自らの成長,開花,結実という生活をみな厳密に規制し確立させている.
そしてみな生育に長い年月を必要とする.イカリソウはアリにより種子が運ばれる.林床で発芽してから開花結実するまでに5年から10年はかかる.カタクリは20年近く生き長らえるが,花をつけるまでおよそ7〜8年かかる.落葉樹林内の肥沃な林床でゆっくりと自らを成熟させる.あまりにも見事な適応により,環境の変動に耐えられないようなひ弱で遺存的な生物が,焼畑跡地から雑木林へという移り変わりのなかで生き続けることができたのは,半裁培という働きかけによる植生の安定性ゆえだったのではないか,と守山は推察している[11].
草本ばかりではない.林内の低木層にはクロモジ,ダンコウバイ,ヤマコウバシ,カマツカなどが生育しているが,これらの低木は上層のコナラやクヌギより一足先に芽を出し,花をつける.これも見事な落葉広葉樹林への適応である.
動物に目を転ずれば,雑木林に生活する代表的なものはゼフィルスと呼ばれる樹頂性のシジミチョウであろう.市域ではアカシジミ,ウラナミアカシジミ,ミズイロオナガシジミ,オオミドリシジミに,県の蝶に指定されたミドリシジミの5種が生息する.ミドリシジミの生活舞台はハンノキで雑木林とは少し違うが,前4種はすべてコナラやクヌギを舞台に生活している.彼等は夏から翌春まで卵で過ごし,早春これらの芽吹きと共にふ化し,柔らかい新芽,新葉を摂食して成長し,葉が硬くなる初夏には摂食を止め蛹になり,梅雨時に羽化する.クヌギ,コナラの葉の柔らかい時だけに成長期を合せた典型的な雑木林の生活者である.
これらの蝶はミドリシジミも含め,日本だけでなく朝鮮半島から中国,ロシア沿海州というように日本海の周縁に分布している.このため周日本海要素といわれる.この周日本海要素の生物は,これらの地域がひと続きの陸地であった時代に分布を拡げたもので,日本への侵入は日本海が日本海湖と呼ばれる湖の時代に中国やロシアから朝鮮半島を経由して,あるいは沿岸州からサハリン,北海道,本州というような陸続きの道を経由して入ってきた.つまり洪積世以前ということになる.したがって洪積世には関東平野の周縁地域には既に生息していて,関東平野への分布拡散に満を持していたものであろう.やがて北本を含めた大宮台地が陸化し,コナラ,クヌギが生育するや否や,これらの蝶も大宮台地に入ってきたものであろう.特に幼樹を好むウラナミアカシジミとゼフィルスの仲間ではないがクロシジミは土着が早かったのではなかろうか.
平地性ゼフィルスと呼ばれるアカシジミ,ウラナミアカシジミ,ミズイロオナガシジミ,ミドリシジミの4種はその幼虫や蛹が北本で本格的に明らかになった蝶である.そのことは偶然でも何でもなく,北本にごく普通に生息していて見つけ易かったからで,それはとりも直さず雑木林が広がっていたことを意味する.雑木林を代表するこれら蝶類のうち,クロシジミは高度経済成長下に絶滅した.巻頭のプレートの中にあるクロシジミの図は北本における最後の勇姿である.またコナラ,クヌギの幼樹を好むウラナミアカシジミの個体数も激減している.また絶滅しかけているミヤマセセリ,コツバメも雑木林の蝶である.
雑木林の代表的な樹種であるコナラ,クヌギの材にボクトウガ幼虫やシロスジカミキリ幼虫が食害し,その傷ついた跡から樹液が出る.これが栄養価に富み,いろいろの昆虫の非常によい食糧になる.早春には各種のキリガ,初夏から夏にかけてはカブトムシ,各種のクワガタ,アオカナブン,クロカナブン,カナブン,シロテンハナムグリ,スズメバチ,ゴマダラチョウ,キタテハ,ルリタテハ,サトキマダラヒカゲ,ヒカゲチョウなどが食事に集まる.樹液は光合成が活発になる初夏から盛夏にかけて多量に分泌され,これを食餌とする昆虫の成虫もまたこの時期に出現する.また林の中にいるシロスジカミキリなどの幼虫を樹皮上からオオホシオナガバチがせわしなく探しまわる.
雑木林はまた秋から冬にかけすべての葉を落とすので,それが林床に堆積し腐葉となる.この腐葉を食糧としてカブトムシ,コカブトが生育する.落ちたばかりの頃は腐葉にならないので,前年の腐葉を頼ってふ化したばかりの幼虫が身体に合った腐葉の量を消費する.しかし腐葉が多くなる春から初夏にかけ,これら幼虫も大きくなり摂食量もふやしていくので,腐葉のでき具合にカブトムシなどの幼虫の成長が同調したサイクルになっている.また枯死した材にはノコギリクワガタ,コクワガタなどが産卵をし,幼虫は枯れた材を食べて成長する.このようにコナラ,クヌギの雑木林は多くの昆虫のすみ家になる.地表ではミスジマイマイやヒダリマキマイマイを追ってヒメマイマイカブリやクロナガオサムシが歩きまわる.小動物の屍にはクロシデムシ,モモブトシデムシが集まる.石戸宿を基産地として記載されたカントウコチビシデムシの生活場所も雑木林だ.雑木林はじつに生命にあふれ,活気に満ちているのである.
北本を含めた関東平野の雑木林は林床にアズマネザサが生えている.この種は年に一度,下草刈りで刈られているときは背丈も低く,草のように柔らかい.しかし放置されると3mから4mにもなり,太さも1cmという立派な篠竹に成長する.こうなると手も足もつけられないという感じで,雑木林に踏み込むすべもなくなる.こういう林で芽生え成長できる植物は,クズなどのツル植物だけになってしまう.ツル植物の成長は早く,またたく間に樹頂までのぼり光合成に必要な光を得る.このような状態は雑木林の死である.
つい最近(1960年頃)までの雑木林は田畑の肥料源や燃料確保の必要性から,こまめに管理されてきた.年1回の下草刈りと枝打ち,20年あるいは30年に1回の伐採による更新という具合で,生命観あふれる林として管理されてきた.この管理によって,放り出しておけば滅亡してしまうような貴重な動植物が温存されてきたのである.ここにいう貴重な動植物とは,前述したような落葉広葉樹林の生活サイクルに100%適応した動植物をいう.カタクリ,シュンラン,エビネ,イカリソウ,ヤマエンゴサクなど可憐でそこはかとない美しさの植物であり,ミヤマセセリ,クロシジミ,ウラナミアカシジミ,アカシジミなどのゼフィルスや,フシキキシタバ,コシロシタバ,マメキシタバなどのカトカラと呼ぶ美しい蛾の仲間であり,ノコギリクワガタやコクワガタなど子供が愛して止まない小さな仲間たちである.
大切なことは雑木林の更新による開かれた場所の存在である.そこにはフジ,アケビ,ミツバアケビ,ノイバラ,サルトリイバラ,ノブドウなどのツル植物や,危急種ノジトラノオをはじめワレモコウ,イタドリ,ホタルブクロ,ミズヒキ,キンミズヒキ,イノコズチ,ヌスビトハギなど様ざまな性格の植物が生育する.北本では絶滅寸前のホソバセセリやジャノメチョウがこういう環境で生息し,珍しいヒメカマキリモドキもここに住む.この種の幼虫はエドコマチグモの卵嚢に寄生する.北本にはエドコマチグモの生息が確認されていないから,近似のヤマトコマチグモかヤサコマチグモの卵嚢に寄生しているのであろう.クモを狩る昆虫ではオオジガバチモドキ,トゲジガバチモドキ,ヒメジガバチモドキなどが記録されているが,これらの生息地もこのような場所である.隣の鴻巣市からはコーノスジガバチモドキが記録されているが,残念ながら今回の調査では採集できなかった.また音色の美しいカンタンもこの場所の生活者である.このように雑木林とその林縁,隣接する草原は多様な生物の生息する場所として重要である.
幸いなことに北本には雑木林として立派にまもられている林もある.この本の細田浩の論著のなかのk一1地点で,雑木林の地権者が「林を大切に 地主」という立て札を立てているという指摘の地である.そればかりでなく市では高崎線に沿った一角の雑木林を買上げて,それを守り管理していくことにした.行き過ぎた管理は好ましくないが,在来の農業の一環としての管理方法による管理がいちばん望ましいことはすでに述べた通りである.
北本市域の特徴は雑木林と谷津(谷地)である.谷津は冬にも涸れることのない湧水を中心に形成される.湧水地は現在市域で11箇所が確認されているが,以前はもっと多く,明治初期には30箇所あまりが知られていた。
この湧水は冬期9℃ぐらいの温かさであり,夏期は18℃前後の冷たさで水温の温度差が少ない.湧水を谷頭として小川が流れ,その周囲に湿地がひろがる.ところにより池沼が形成される.これが谷津あるいは谷地といわれる場所である.こういう場所は開墾して農耕するのには手がかかり過ぎるため,自然状態のまま放置され,そのことが結果として多くの貴重な野生生物を保存してきた.環境庁が指定をした「絶滅の恐れのある野生生物」は,この谷津に生存するものが圧倒的に多い.ホンシュウオオイチモンジシマゲンゴロウ,セスジガムシ,エサキアメンボ,ババアメンボ,ミクリ,タコノアシ,ミゾコウジュ,これらは谷津の生き物である.
自然状態では池や沼の水際線をはさんで,陸地から池沼底にかけて緩い傾斜地形ができあがり,そこに水条件の変化に富んだ生態的ニッチが形成される.ハンノキ,ヤナギ類などの水辺林にはじまり,タコノアシやミゾコウジュを含む湿地植生,ヨシなどの抽水植物帯,ヒシ,メビシ,コウホネなどの生育する浮葉植物带,ウキクサやアオウキクサが浮ぶ浮漂植物带というような景観構成が成立する.このように性質の異なったいくつかの環境が隣接し,そのあいだに環境条件の違いが推移し,生物の移りゆきが見られる場所をエコトーン(推移帯)と呼んでいる.雑木林とその林縁,草原のセットもエコトーンである.このエコトーンは多様な環境条件を具備しているため,まさに多様性に富んだ生物の生育,生息が可能になる.北本市には石戸宿,高尾,北袋などにエコトーンが認められ,豊かな自然景観と多くの貴重な野生生物が息づいている.
水辺林とは水際線から陸地にかけての肥沃で多湿な立地に生育する木本植物群落の通称であり,水際線近くに生育し根系の多くの部分が地下水位より深く張る軟木带と,それより高い土地に生育し地下水位より上に根を張る硬木帯に分ける.軟木帯にはハンノキ,各種のヤナギ類が生育し,硬木帯にはサワグルミ,エノキ,コナラなどが生育している.水辺林は林を構成する木々を直接食害する多くの昆虫だけでなく,野鳥に餌を供給し巣づくりやねぐらの場を提供し,トンボ類など昆虫の休息場所として役に立っている.また枝が水面に影を落とすことで魚の隠れ場をつくり,水に落ちた葉が水生昆虫や底生動物の餌や住み家になる.この水辺林は種の構成が多様性に富むほど他の生物の生活場所としても優れていて,多くの種の生息を可能にする.そればかりでなく陸地からの汚濁の流入を防いで,池沼や湿地を清浄に保つ働きもしている.
湿生植物帯は水際線に近い陸地に発達するものでイヌビユ,アメリカセンダングサ,ミゾソバなど平凡な種からはじまって,やがて各種のスゲ類やヨシ,ヒメシダなどが優占するが,危急種タコノアシ,ミゾコウジュや貴重な種であるエゾノサヤヌカグサもこの植物带の遷移途上の地に生育するものである.この種は背丈60cmほどで,ジグザグに折れ曲った茎に緑色の小穂をつける.北半球に広く分布するが北本のような平地には珍しいものである.また貴重なハンゲショウもここに生育する.ハンゲショウの種子はカモ類が泥とー緒に足につけて運んだり,あるいは飲みこんで運んだりすることで知られている.平野部としては珍しいミズワラビ,ミズオオバコ,ムサシノササグサ,ミズガヤツリ,タタラカンガレイ,オモダカ,ウリカワ,コナギ,チダケサシ,キツリフネ,ツリフネソウなども湿生帯に生育する.ヨシ群落はもっとも地下水位の高い水際線付近を占有し,そのまま水中の群落に続く.
この湿生植物帯は水辺林とともに陸地からの汚濁源の流入を阻止するとともに,多くの動物の生息場所として重要な存在となっている.ホンシュウカヤネズミ,カルガモ,バン,ヒクイナ,ヨシゴイ,セツカ,オオヨシキリの営巣場所であり,ツバメやムクドリのねぐらでもある.昆虫ではゴミムシ,ハンミョウ類やコバネササキリ,キンヒバリ,エゾスズ,ヤチスズ,トゲヒシバッタなどが生息する.特に美しい音色で鳴くキンヒバリと関東平野南部でのエゾスズは貴重な存在である.またトンボ,カゲロウなどの水生昆虫の羽化の場所としても重要である.
抽水植物は水底に根を張り,葉や茎を水面に出す植物でヨシ,マコモ,ガマ,コガマはその代表種である.またフトイ,サンカクイ,カンガレイ,コウホネ,ミツガシワ,ミクリなども背の低い抽水植物だし,レッド・データには登録されていないが分布の限られたタタラカンガレイも石戸宿に生育する.抽水植物带は魚類,エビ類,両生類,トンボ類などが産卵し,その子供が育つ場所として特に大切な場所である.生息場所が限られ希少種とされたエサキアメンボ,ババアメンボ,指定はされていないが珍しいヤスマツアメンボは,抽水植物の茂る狭い水面に追いやられたように生きている.また多くの水鳥のかくれ場となり,カイツブリはこの植物带の中で営巣する.またマコモの葉は食植性のカモ類の餌に利用される.大阪の淀川水系でのオオヨシキリの巣数の調査結果によると,幅が30mのヨシ原では1.25ha当り4個,幅400m以上のヨシ原では1.25ha当り10個の巣が発見された.しかし幅5m以下のヨシ原では巣が見つからなかった.また千曲川のヨシ原でオオヨシキリがもつ縄張りの面積は最小で447㎡,最大で2,056㎡で,平均では856㎡となり,このような縄張りが20~30個成立するようなまとまったヨシ原でないと,オオヨシキリにとって良好な生息場所とはいえない.ヨシ原はこのように重要な野生動物の生息場所なのだが,それはある程度以上の広さを必要とするのである.
蓮沼に見られるヒシ,メビシ,オニビシは水底に根を張り,水面に葉を浮かべる浮葉植物である.この群落は抽水植物群落と同じように魚類,エビ類,両生類,トンボ類などの産卵の場,幼虫が生育する場として重要である.霞ヶ浦の例ではアオコの大発生によりオニビシの大群落が一斉に枯死した例があるが,それは水が富栄養化したためである.
エビモ,ササバモ,コカナダモなどのように,水底に根をもち茎や葉などの栄養器官がすべて水面下にあるものを沈水植物という.これらの植物は抽水植物帯や浮葉植物带の中に混生することも多いが,本来は浮葉植物带より沖合いに生育する.この植物群落も水質浄化や水生動物の生育の場として重要な役割をしている.しかし池や沼の水が富栄養化するに従い,沈水植物群落は壊滅する.
ウキクサ,アカウキクサ,サンショウモなどは水面に浮き漂って生活する植物で,浮漂植物といわれる. これらの植物は必要な栄養塩類をすべて水中からとるため水中の窒素やリンを吸収し除去作用をする働きがある.水面に落ちた昆虫の体液を吸って生活するナミアメンボやコセアカアメンボなども,水質浄化に役立っている.
このように谷津から池沼にいたる一連の地帯は多様な植物帯が認められ,それ故変化に富んだ多様な生物が生活している.そのなかには絶滅が危惧されたり,今では希少になった動植物が生き残っている.ヨシ群落の例で述べたように,これらの植物带も僅かな面積では役に立たず,豊かな動植物相をかかえるにはある程度の広がりがどうしても必要になる.かつては利用に不向きであった谷津や池沼も,土木技術の進歩によってたやすく改変が可能になったため人為的な改変がなされたり,生活雑排水の流入により,水が富栄養化して植物プランクトンや糸状藻類が発生し,沈水植物や浮葉植物を枯死に至らしめたりする.また生活不要品の不法投棄による植物群落の物理的破壊や,有害物質の流出,また地下水位の低下による乾燥化など,いたるところで谷津や池沼の野生生物にダメージを与えている.石戸宿における県の自然観察公園の建設も野生生物の保全に有効に働いているとは思えない.
北本における谷津とそれに続く池沼は,環境庁が指定した危急種や希少種が数多く存在する貴重な自然である.私たちの世代でこれらを絶滅に追いやることなく,十分の配慮をして保全していきたい.