北本のむかしといま Ⅰ 雑木林の残る街
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Ⅰ 雑木林の残る街
2 豊かな湧水と動植物
市域の湧水市西部の高尾・荒井・石戸宿には、複雑に台地を刻む開析谷(かいせきこく)(谷地)(やち)が発達している。これらの谷地の上部や斜面からは水が湧(わ)き出ている。明治初期には市域には三〇か所あまりの湧水や池沼があった。しかしそれらは、都市化が進むなかでつぶされたり枯れたりして、現在では三分のーほどが確認されるだけである(図4)。失われつつある湧水を保ち、次の時代に伝えていきたいものである。それらの貴重な湧水を紹介しよう。なお湧出量は平成三年調査データで「市史通史編Ⅰ」P 一〇三に詳しい。
図4 市内の主要湧水・池沼の分布

(『市史通史編Ⅰ』P101より引用)
現在も灌漑(かんがい)用に使われている。湧出量はそう多くはないが、周辺の水田にとって貴重な用水源となっている。湧出量は、地点1(図4参照)が毎分七・〇リットル、地点2が毎分六・六リットルである。
②湧水地点3(高尾六丁目 阿弥陀堂北側の谷)
阿弥陀堂北側の谷の北向き斜面から湧き出ている。周囲は、カタクリ、二リンソウ、まどの市内唯一(ゆいいつ)の自生地である。湧出量は、夏と冬でそれぞれ毎分一五・〇リットル、八・一リットルである。
③湧水地点4(高尾九丁目 阿弥陀堂南側の谷)
阿弥陀堂南側にある谷地の上部にむかしからある湧水で、地元の人はイケジリ(池尻)と呼んでいた。台地上には、明治時代に廃寺となった泉蔵院(せんぞういん)跡がある。その寺名も、ここの湧水(泉)によるものだと考えられている。湧出量は不明。
④湧水地点5・6(高尾八丁目 宮岡の谷)
地点5の湧水は高尾氷川神社の西側にあり、湧水によってできた池の中ノ島には厳島(いつくしま)神社がまつられている。以前は、この池の中から湧き出していたが、現在の池はコンクリートで護岸され、地中に差し込まれたパイプを通じて水がしみ出ている。湧出量は不明。地点6の湧水は、南に分かれた谷地の中央部にある。湧出量は、夏と冬でそれぞれ毎分五五・二リットル、二五・二リットルと、他の湧水とくらべて多い。しかし、この谷地の下流側では昭和六十二年(一九八七)から大規模な斜面林の伐採(ばっさい)・埋め立てが行われているところから、湧水の質・量への影響が心配されている。

写真2 未来に残したい豊かな泉
⑤湧水地点7・8(荒井五丁目 八重塚〜城中の谷)
石戸宿城ケ谷堤の東側から八つ手のように台地内に入り込んでいる谷地のうち、上流部の高尾城中に延びる谷の上流部(地点7)と、その下流部(地点8)の湧水である。地点7は、谷の上部からすべるように湧き出ている。湧出量は夏と冬でそれぞれ、毎分一〇・八リットル、六・六リットルである。地点8は市指定文化財のエドヒガンザクラに接する谷の中央部にある。湧出する場所が何か所かあって、定まっていない。
⑥湧水地点9・10(荒井六丁目 八重塚〜石戸宿・九丁の谷)
前と同じ石戸宿城ケ谷堤の東側から入り込んでいる谷地が、上流で南北に分岐(ぶんき)する付近(地点9)と南に延びる谷の上部(地点10)の湧水である。地点9は、直径一メートルほどの円形で皿状の底から湧き出ている。むかしから、まったく枯れたことがないという。湧出量は、毎分一六・二リットルである。地点10は、北里メディカルセンター病院の東側に入り込む谷地の上部にある。直径一メートル、深さ五〇センチメートルのすり鉢状の底から湧き出ている。湧出量は、毎分〇・九リットルである。しかし、下流部では昭和六十二年から汚泥・廃材などが捨てられているため、地下水系に何らかの影響が出ることが心配される。下流一帯が北本自然観察公園の中心にあたるだけに、湧出量を確保したいものである。
⑦湧水地点11(石戸宿八丁目 横田薬師堂下)
これは、谷地の底から湧き出るのとはちがって、旧荒川水路の北端の急な崖から湧出している。湧出量は毎分二六二・三リットルと、市域で最も多量である。ここから湧き出た水は、下沼耕地から旧荒川に流れ込む用水に合流している。