北本のむかしといま Ⅲ つわものの活躍
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Ⅲつわものの活躍
4 武蔵武士と鎌倉幕府
鎌倉幕府の成立鎌倉幕府は、源頼朝が鎌倉を根拠として創始した歴史上初めての武家政権である。その最初の形は、治承四年(一一八〇))十ー〜十二月、頼朝が侍所(さむらいどころ)を設け、三〇〇名を超える御家人がつつしんで見守るなかを新築の邸に入り、多数の武士と主従関係を結んだときに成立した。このとき、鎌倉の地に、事実上、京都の政府から独立した新しい政権が生まれる契機となったからである。
実際には、このあと源義仲の追討があり、引き続き平氏討滅の戦いがーの谷・屋島・壇の浦(だんのうら)とあった。その後、奥州(おうしゅう)藤原氏の討滅があった。また、この間に平氏追討の功労者、義経の追放があった。さらに、頼朝自身が上洛(じょうらく)して後白河法皇との駆け引きがあり、その結果、ようやく征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任することになる。そのため、一般には頼朝が征夷大将軍になった建久(けんきゅう)三年(一一九二)をもって、鎌倉幕府成立、鎌倉時代の始まりとすることが多い。
しかし、政治的な側面を重視する考え方からは、寿永(じゅえい)二年(一一八三)に頼朝が王朝政府から東国の支配権を認められたとき、あるいは文治元年(ーー八五)に頼朝が日本国惣追捕使(ついぶし)(謀叛人(むほんにん)を捕らえる権利をもつ役職)に任命され、全国に守護(しゅご)・地頭(じとう)をおいて国・荘園に対する支配権を得たときに、鎌倉幕府は確立したという説もあり、今ではこれを鎌倉幕府の成立と考える者が多い。