北本のむかしといま Ⅲ つわものの活躍

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Ⅲつわものの活躍

1 大王勢力の進出と无邪志

杖刀人首と丈部
稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文に、ヲワケは「杖刀人首(じょうとうじんのしゅ)」としてワカタケル大王に仕えていたと刻まれている。杖刀人とは大王の近くに仕える武官のことで、首はその長であることを意味している。この杖刀人と密接な関係にあるといわれているのが、部民(べのたみ)の「丈部は(はせつかべ)」である。部民は、朝廷や豪族の支配下にある隸属集団のことをいう。例えば朝廷の支配下にある品部(ともべ)は、漆(うるし)・土器・酒部など手工業によって製品をつくる人びとであり、豪族の支配にある部曲(かきべ)にも軍事や祭祀(さいし)に関する職業集団があった。「丈部」はこれら部民のひとつで、ヲワケを出した中央の軍事豪族である阿部氏と関係が深く、杖刀人と同じように武(軍事)をつかさどる集団である。丈部は、大化の改新(六四五年)以前は関東を含む東国に主に配置されていた。そのほとんどは、国造になった家系かそれに次ぐ豪族に多くみられた。そのため、武蔵周辺の丈部は、伴造(とものみやっこ)としての「直」の姓をもつていた。
その例として、時代は下るが、「続日本紀』(七世紀末〜八世紀末)には、武蔵国足立郡の郡司として丈部直不破麻呂(はせつかべのあたえふはまろ)の名が出てくる。不破麻呂はのちに朝廷から武蔵の姓をたまわり、武蔵国造(むさしのくにのみやっこ)になっている。これは丈部直氏が朝廷に仕(つか)えていた豪族(国造族)だったことを示している。

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