北本の仏像

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Ⅱ 各地区の仏像

2 石戸地区(旧石戸領)

 観音堂

観音堂 荒井1231 →(寺院詳細)

明治四年に廃寺となった天台宗の寺双徳寺に付属していた堂で、千手観音を本尊とする。『風土記稿』によれば、双徳寺は川田谷泉福寺の末寺で、千手山慈眼院と号し、本尊は阿弥陀、と見える。
その他、付近には双徳寺持の観音堂が二宇あり、各々馬頭観音、十一面観音を本尊としていたことが知られる。現在はいずれも廃堂となり、本尊は当観音堂に移安されている。堂正面に「十一面観音」と記した額を掲げるが、これは本来当堂のものでなく、おそらく廃堂となった十一面観音堂の額を転用したものであろう。


【木造観音坐像】

観音堂 木造観音坐像

〔品質〕一木造、素地仕上げ
〔法量〕総 高 50.5 像 高 32.5 像 幅 21.0
    像 奥 8.0 台座高 16.2
堂内の片隅から埃にまみれて発見されたもので、その特異な作風からすると、江戸時代の元禄年間頃に埼玉の地を訪れ、大宮をはじめとする、県東南部の農村地帯に多量の作品を遺した放浪僧円空の手になるものと考えられる。頭上に宝冠状のものを頂き、通肩の衲衣をまとって、膝上で禅定印を結び、岩座上の蓮台に坐す姿は変則的で、直ちに尊名を判定し難くさせているが、円空の刻んだ観音像には往々こうした姿をとる作例が見受けられる点、やはり観音像の一例と見て差支えなかろう。
この像の素朴で簡潔な造型性は、円空にしか見られない特色あるものだが、たゞ、円空の一般的な作品に比較すると、運刀に生彩なく、何処となく生硬な鈍い仕上りとなっており、彼本来の切れ味のよい、直裁的な力強さに欠けるところがある。頭上に頂く宝冠状の造り出しも意味不明な、中途半端なもので、円空らしくない曖昧な表現を見せている。こうした点は、この像が円空の作品として紛れもないものであると断定するのに一瞬鋳躇させられるところである。しかし、杉材と思われる軟材を縦に二つ割にして、その割放ち面に彫刻を施し、裏側の木肌の部分は粗削りのまゝにするといった手法は円空独自のもので、大宮周辺の彼の作品によく見受けられる木取り法である。
また、近年の模造作とするには、材がよく枯れていて、年代を感じさせる点、直ちにそうだとは言い切れない面が残る。さらに、県内に於ける円空仏の分布状況から推測すると、円空は荒川を渡って大宮台地と県西部の小川、寄居方面を結ぶ道筋を歩いた形跡が認められ、その中間地帯に位置する当地に彼の作品が遺される可能性は多分にあった、という見方も出来る。
なお、付加えるならば、この像の発見に立会った筆者は、その発見時の状況に悪意ある作偽性が感じられなかった、ということも述べておく必要があろう。こうした諸点から判断すると、この像を素直に円空作と見なしてもいいように思われるが、筆者としては今一つ確信が持てないため、再度詳しい検討を加えた上で、最終的な結論を出すことにしたい。読者におかれても、筆者の意のあるところを汲んで頂ければ幸いである。なお、現在像の頭頂部の造り出しに見られる彩色や飾り金具をとめた釘穴の痕、および鋼板製の胸飾り等はいずれも後世のものであることを付言しておく。

観音堂 右側面

観音堂 部 分

観音堂 背 面

観音堂 像底部

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