北本の屋敷神 北本の屋敷神

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第2章 北本の屋敷神

第5節 主な屋敷神

 1.本家が祭る屋敷神

北本市域では、屋敷神は各戸毎に祭るのが通例である。しかし、かつては一族-イッケで屋敷神を祭ったらしい様子を幾つかの事例が示している。
石戸宿横田の横田善一郎家(石戸宿ー101)を本家とするイッケは、本家だけが屋敷神を祭る。分家して数百年たつという横田長次家(石戸宿横田)には屋敷神がない。初午や嫁入りの時は本家のウジガミ様をお参りしたという。
荒井の新井勇家(荒井ー95)イッケの分家は、 かつては各家毎に屋敷神を祭る事はなかった。今日では、新井勇家がしばらくの間他所に移っていたこともあってか祭るようになった家もある。

本家が祭る屋敷神〔荒井ー96〕

「お仮屋」に屋敷神を祭っていた北中丸の加藤邦太郎家(北中丸ー62)では「ウジガミ様は分家にはくれない。わけられない」と述べているが、これも、かつては屋敷神は本家がイッケを代表して祭るものであったということを物語るものであろう。
中丸十丁目に「権現山」と呼ばれる小地域がある。加藤姓七軒が祭る「日光東照大権現」が祭られていたからである。八畳一間位の大きなお宮で、木がうっそうと繁り夏も涼しくお宮の前の広場は子供の良い遊び場だったという。現在、神屋は屋内に移され、森はない。加藤姓七軒は行政的には道を境に北と下久保の二耕地にまたがっているが、イッケとして古い歴史をもち、「権現様」は七軒のうちのいずれかを本家とするイッケの屋敷神と考えられるものである。なお、 現在は各戸毎に屋敷神を祭っている。
本宿一・二丁目の岡野姓四軒のイッケは、いずれも数百年たつ家だが従来各戸毎には屋敷神は無かったという。現在ニ軒はもつが、大正十一年と昭和期のもので、先代が子供をなくしたりしたことから祭るようになったという。この岡野イッケの場合も本家がイッケを代表して屋敷神を祭るものであったようだ。

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