北本の屋敷神 北本の屋敷神

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第2章 北本の屋敷神

第4節 神屋

 2.方角・距離

市内の屋敷神の七一%は屋敷の北西にある。土地の人は「乾(いぬい)」・ 「西後(にしうしろ)」・「西」等という言い方をする。
「八幡」については「乾八幡(いぬいはちまん)」と言い、 八幡様は北西に祭るものだとされている。他に北西であることの理由は聞き出せなかった。特に説明は必要がなく、「昔から」そうなのである。北東・南西の方角は鬼門を塞ぐのだという。東にほとんどない理由は不明。富士南(=真南)には屋敷の入口をつけたり建物をたてることがきらわれるが、 同様に屋敷神も建てる事がきらわれる。
〔表ー5〕「屋敷神の方角」
 1234567891011121314方角小計方角割合(%)
 北中丸花の木常光別所山中古市場本宿東間宮内深井石戸宿下石戸上下石戸下高尾荒井
411133224525334.4
北東9212231213233537.1
13150.7
南東1123112113162.1
1111121191.2
南西561261314545435.7
西24314474555445.9
北西4361641222313036705342967153270.9
21122111112
その他1113
75729121937484549102576111594750100.0
元の位置から移動している屋敷神が約一割ある。病人が出たとき等に祈禱者にみてもらった結果移したという事例がほとんどである。他に道路拡張工事で宅地がかかり余儀なく移動したという事例も結構多い。屋敷神を移動させる際、もとの場所の土を持っていったという事例(北中丸ー53、山中ー6)がある一方、 みてもらったら墓場と違うのだから必要はない(高尾)と言われたという事例もある。

ビル屋上の屋敷神〔本宿ー27〕

九十九%の屋敷神の神屋は、 母屋から五メートル前後の距離にある。例外的に、 ニッ家一丁目の五味賢二家(下石戸下ー1)は西方三~四十メートル、北本三丁目の大島晴雄家(東間ー39)は西方四~五十メートル、下石戸上の吉田正士家(下石戸上ー7)は北西へ三~四十メートル。下石戸上の森谷始次家(下石戸上ー29)の北西に稲荷跡という場所があり、かつての母屋からは数十メートル離れていた。高尾の新井弥太郎家(高尾—105)は北西に約五十メートルの位置にある。共に屋敷内にある。他に、屋敷神ではないが個人祭祀の社で屋敷外数百メートルのところにあるものがある。北中丸の小川栄一家(北中丸ー3)のかつての熊野社、下石戸上の小川文夫家(下石戸上ー54)の稲荷社、宮内の大島隆三家(宮内ー26)の稲荷山(現、長島寿郎家所有)とジンガ稲荷、同じく大島康男家(宮内ー22)の浅間社、北袋の遠藤芳昭家(荒井ー75)の稲荷社、高尾の谷口光佑家(高尾ー48)の稲荷社等である。
近年、神屋が壊れてしまったことなどをきっかけに、祭神の「お姿」を家の中に入れてしまうという例がいくつかある。

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