北本の屋敷神 北本の屋敷神

社会2 >> 北本の屋敷神 >> 北本の屋敷神 >>

第2章 北本の屋敷神

第2節 祭神の性格

 1.ウジガミ

市内の約六%の屋敷神は、特定の祭神を持たず、単に「ウジガミ様」である。
「ウジガミ様は先祖であろう」「東間—1)。「昔からそこの家の守り神だというだけでとりたて何々の神のわかれだということは少ないのではないか」(北本宿—42)。「現在の宅地にはない。元屋敷にある。正月とか、婚礼・出産のときはお参りに行く。分家の人も行くようだ」(北中丸—2)。
北本市北袋に隣接する鴻巣市原馬室では、十七回忌の弔い上げ後、仏様は屋敷神になると考えられている。(倉林正次「日本の民俗11埼玉」第一法規、一二七頁。)北本市内では確認できていない。市内高尾で、死後五十年は仏様だが、それ以後は神になるのだから神社もお参りするものだ、という話を聞いたが一般的にいえるかどうかわからない。
「地先祖」を祭ったものだともいう。「地の先祖の屋敷神をひきついで祭っている。墓もその家のを使っている」(北中丸—64)。北本市では、屋敷神は土地につくという考えが強いようだ。又、他家の潰れ屋敷に入った時は、苗字もその屋敷のものを名のるのが普通である。つまり、その屋敷の神は、血筋の繫がる先祖に由来するとは限らないわけだ。もっとも、「ウジガミは地荒神で、屋敷鎮守は道祖神だ」(荒井—62)という考え方もある。

地神宮〔宮内ー17〕

地神大荒神〔石戸宿ー4〕

宮内に「地神宮□、宝暦□十一月吉日」(宮内—17)、石戸宿に「地神大荒神、寛政九丁酉年正月吉日」(石戸宿—4)というのがある。宮内では「地神宮」を「ジジングウ」と読んでいた。石戸宿の場合は、「ドコウジン(様)」と呼んできたが、文字を意識して読んだことはないという。「地神」は「チガミ」と読める。「地の神」である。他市町村の例に「屋敷神は地先祖(越谷市)・地神(大宮市)だともいう。土地の精霊といった意識もあるのである。」(前掲「日本の民俗11埼玉」一四一頁)というのがある。
ウジガミの特定の祭日は聞き取れなかった。「正月と、何か変り物を作ったときそれをあげる位」というのが普通である。十年程前までお仮屋を作っていた北中丸の加藤邦太郎氏は、お仮屋の作りかえを初午にした、と言っていた。

<< 前のページに戻る