谷津ものがたり 7コースガイド
7コースガイド
⑦北本総合公園・赤堀川周辺コース
公園の中の生き物たち
公園は、人が自然と親しむ身近なところ。公園の動植物は、珍しい種類はないが、人の生活にともなって増えてきた、親しみのもてるものばかりだ。注意深く観察してみよう。きっと知っている動植物が見つかるかも…。
〔参考タイム〕●所要時間54分
北本総合公園—— 長屋門—— 氷川神社—— 上手館跡土塁—— 北本総合公園
★上手館跡 周辺 Aコース
北本市体育センターのそばを車道沿いに歩き、途中からたんぼの中の未舗装の道路に入る。学校給食センター付近から南方向を見ると、上手館跡の全景と周辺の田園風景を一望することができる。上手館には、中世の土着武士である鴻巣七騎 が住んでいたと伝えられている。ここは、アカマツ林があり、市東部では貴重な自然が残る場所だ。宮内橋を渡り直進し、しばらくすると江戸時代の名主の屋敷の面影を残す長屋門 を見ることができる。門から武蔵国三宮文書 の残る氷川神社までは、すぐである。神社で一息いれたい。神社の社務所付近の道を南東方向に向かって直進すると、やがてまた上手館跡に戻る。この辺りで、比較的良く残されている土塁 に上り、中世武士の息吹に触れるのも良い。土塁沿いの道を直進し、右手に不動堂を見ながらT字路を左折すると、左手に足立坂東札所第12番の如意寺 が見えてくる。
北本市体育センターのそばを車道沿いに歩き、途中からたんぼの中の未舗装の道路に入る。学校給食センター付近から南方向を見ると、上手館跡の全景と周辺の田園風景を一望することができる。上手館には、中世の土着武士である
▲上手館跡(アカマツ林)遠景
▲長屋門
~~~ちょっと足を伸ばせば
〔参考タイ厶〕●所要時間39分
無量寿院—— 地蔵堂—— 光蔵寺—— 後谷遺跡(桶川市)—— 県道下石戸上・菖蒲線合流地点
★地蔵堂・後谷遺跡 Bコース
県道下石戸上・菖蒲線を渡り、さらに300メ ートルほど直進すると、右手に地蔵堂が見えてくる。ここの墓地と無量寿院 の墓地において、昭和51年ごろまで市内で唯一両墓制 が行われていたが、現在では単墓制 となっている。砂利道に入り、そこを抜けると畑がひらけてくる。この畑は、シーズンには一面のキャベツ畑となり、赤堀川周辺の水田風景とはまた一味違った風景を楽しむことができる。さらに足を伸ばせば、光蔵寺、桶川市の後谷遺跡にたどりつく。後谷遺跡から斜面林沿いの道を直進すると、県道下石戸上・菖蒲線に戻ってくる。
県道下石戸上・菖蒲線を渡り、さらに300メ ートルほど直進すると、右手に地蔵堂が見えてくる。ここの墓地と
▲路傍の石仏(庚申塔)
▲後谷遺跡(現後谷公園)
ひとくちコーナー⓬
●赤堀川
鴻巣市に源を持つ中川水系元荒川の支流。昭和20〜30年頃までは清流で、子どもたちが泳ぐこともできたという。
●鴻巣七騎
戦国時代 、市内及び鴻巣周辺の村々にいたと伝えられている岩槻太田氏 の家臣と考えられる在地武士 。氏名・居住地には諸説ある。
●無量寿院
源頼朝が建立したと伝え、かつて境内には、左甚五郎が一夜で建てたという大堂があった。また、うめられてしまった石の仁王様の伝説もある。宗派は真言宗。
●後谷遺跡
赤堀川の低湿地に突き出した台地と、その周辺の低湿地に立地する縄文時代の遺跡。発掘調査によって保存状態の良好な遺物が多数発見された。その出土品は、桶川市歴史民俗資料館に展示されている。
●赤堀川
鴻巣市に源を持つ中川水系元荒川の支流。昭和20〜30年頃までは清流で、子どもたちが泳ぐこともできたという。
●鴻巣七騎
●無量寿院
源頼朝が建立したと伝え、かつて境内には、左甚五郎が一夜で建てたという大堂があった。また、うめられてしまった石の仁王様の伝説もある。宗派は真言宗。
●後谷遺跡
赤堀川の低湿地に突き出した台地と、その周辺の低湿地に立地する縄文時代の遺跡。発掘調査によって保存状態の良好な遺物が多数発見された。その出土品は、桶川市歴史民俗資料館に展示されている。