雑木林のあるまち 社会

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2.戦争

学童疎開(寿命院教室) 

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昭和19年8月27日、戦況(せんきょう)悪化にともない、日本橋(にほんばし)の問屋街にあった久松(ひさまつ)小学校の4年生男女と6年女子が北本へ疎開してきた。90名ほどの児童と教員は、多聞寺(たもんじ)と寿命院(じゅみょういん)に分宿し、中丸小学校の一部を借りて授業をしていた。
6年生は卒業式のため昭和20年3月2日に東京へ帰り、3月9日の東京大空襲(だいくうしゅう)に遭遇(そうぐう)した。北本から帰った子のうち6人が亡くなった。


絵・寿命院学寮の一日 昭和19年10月 久松国民学校 六・四年女子作 

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寿命院には6年生と4年生の女子が学童疎開で寄宿していた。6年生は卒業式のため東京へ帰り、4年生だけが残った。この写真は東京大空襲(だいくうしゅう)で家を亡(な)くした親が、疎開している4年生の姉のもとに弟妹を預けたことを物語るものである。

寿命院へ寄宿していた48名の女子児童が描(えが)いた55枚の絵が残っている。引率(いんそつ)してきた川島先生が今も宝物のようにして持っている。疎開生活がよくわかる貴重な資料である。題字は川島先生の筆になるものである。


Ⅰ 起床

Ⅱ 食事

Ⅲ 体操


四 そうじと洗濯

Ⅴ 奉安殿拝礼

Ⅵ ドッチボール


Ⅶ おやつのおいも

Ⅷ もらい湯

Ⅸ 就寝

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