雑木林のあるまち 教育
2.中学校の設立と中学生の学校生活
昭和22年、義務教育に六・三制が導入され、中丸・石戸両校ともに高等科が廃(はい)されて、それぞれ中丸中学校、石戸中学校となった。両校とも校舎は小学校に同居し、昭和25年に統合北本宿中学校になるまでの3年間存在した中学校である。
北本宿中学校は、昭和34年の町制施行(しこう)により北本中学校と改称(かいしょう)した。昭和47年に東中学校が、昭和53年に西中学校が設置され、さらに東中学校から宮内中学校が分離(ぶんり)していった。北本市の人口増加期における現象であった。
理科の授業風景である。実験器具が整っていることがよくわかる。
修学旅行 日光 (昭和22年ころ)
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北本宿中学校は、昭和34年の町制施行(しこう)により北本中学校と改称(かいしょう)した。昭和47年に東中学校が、昭和53年に西中学校が設置され、さらに東中学校から宮内中学校が分離(ぶんり)していった。北本市の人口増加期における現象であった。
中丸中学校の修学旅行記念の写真である。たまたま出会ったのだろうか、進駐軍の兵士の顔も見える。
石戸中学校生徒 宮内 (昭和22年ころ)
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石戸中学校の校外学習 (昭和22年ころ)
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石戸中学校職員 荒井 (昭和22年ころ)
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県内屈指の広さを誇った開港当時の北本宿中学校校庭 本町 (昭和25年)
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放送施設 本町 (昭和38年)
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授業風景 本町 (昭和25年ころ)
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