きたもと子ども漫画館(上巻)

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北本人物年表きたもとじんぶつねんぴょう
北本先生きたもとせんせいみどりちゃんといっしょに、北本きたもと歴史れきし年表ねんぴょうでふりかえってみよう。
物語ものがたり登場とうじょうしたひとたちがいつごろから活躍かつやくしたのかも確認かくにんしてみようね。
旧石器時代
政治せいじ
社会
生活せいかつ文化ぶんか●日本列島に人類が住み始める
●紀元前(BC)3万年
旧石器時代の生活の跡発見(八重塚遺跡、諏訪山南遺跡、提灯木山遺跡など)されている
縄文時代
政治せいじ
社会●BC7000~
縄文人の移動生活が始まる
●BC3000~
集落が形成され、定住生活が進む
●BC2000~
大宮台地が安行文化圏の中心的な地域になる
生活せいかつ文化ぶんか土器・弓矢が作られ始める

●土器を使う集落が生まれる
弥生時代
政治せいじ●57
奴国王、後漢に使いを送る
社会しゃかい●150
このころ赤堀川流域にも農耕集落ができる(上手遺跡)
生活せいかつ文化ぶんか●BC100
このころ関東地方に弥生文化が広まり、稲作が始まる
古墳時代
政治せいじ●239
邪馬台国の女王卑弥呼、魏の皇帝に使いを送る
社会しゃかい●500
このころ荒川近くの台地上に古墳が造られ始める
生活せいかつ文化ぶんか●471
稲荷山古墳より出土した鉄剣から昭和53年115文字の銘文が発見される
飛鳥時代
政治せいじ●593
聖徳太子が摂政になる
●645(大化元)
大化の改新
社会しゃかい
生活せいかつ文化ぶんか●538
日本に仏教が伝わる
奈良時代
政治せいじ●710(和銅3)
平城京に都を移す
社会しゃかい
生活せいかつ文化ぶんか
平安時代
政治せいじ●794(延暦13)
平安京に都を移す

●1184(元暦元3)
源範頼が武蔵国の知行国主となる
社会しゃかい●938(天慶元)
足立郡司武蔵武芝、武蔵権守興世王らと争う
●1159(平治元)
平治の乱、武蔵節が活躍

足立遠元あだちとおもと


●1180(治承4)
このころ源氏と平氏の対立が激しくなる

源頼朝みなもとのよりとも
源範頼みなもとののりより

生活せいかつ文化ぶんか●861(貞観3)
このころ北本市で最古の文字が須恵器に記される
鎌倉時代
政治せいじ●1192(建久3)
源頼朝、征夷大将軍になる
●1274(文永11)
蒙古軍、襲来(文永の役)
●1281(弘安4)
蒙古軍二度目の襲来(弘安の役)
社会しゃかい●1193(建久4)
源範頼が伊豆に流され、後に殺される
●1245(寛元3)
石戸左衛門尉・足立直元らが鎌倉八幡宮放生会の馬場儀で十列を勧める
●1285(弘安8)
安達泰盛の乱(霜月騒動)が起こる
生活せいかつ文化ぶんか●1233(貞永2)
石戸宿の東光寺にこの記念銘の阿弥陀板碑がある
室町時代
政治せいじ●1334(建武元)
建武の新政
●1336(建武3)
足利幕府を開き、建武式目を定める

●1495(明応4)
北条早雲、小田原城に入る
●1505(永正2)
このころ高尾村は、太田氏の支配に入る

太田資正おおたすけまさ



●1573(天正元)室町幕府滅びる
社会しゃかい●1380(康暦2)
小山義政の乱
●1457(康正3)
江戸城を太田道灌が、岩付城を太田道真が築く
●1458~(長禄年間)
このころ石戸城が築かれる
●1467(応仁元)
応仁の乱が始まる
●1480(文明12)
京都を中心に一揆が起こり始める
●1524(大永4)
北条家は、相模国当麻宿制札を出し、伝馬の法を定め、それに石戸の名がみえる
●1525(大永5)
太田資頼の岩付城が北条氏綱に攻め落とされる

北条氏綱ほうじょううじつな


●1559(永禄2)
太田資正が大島大炊助と深井氏に知行地の開発を命じる
●1560(永禄3)桶狭間の戦い

織田信長おだのぶなが



●1563(永禄6)
北条氏康が松山城を奪う。この時、上杉輝虎が石戸に陣を敷く
●1565(永禄8)
河目資好が大島大炊助に宮内村を給付する
生活せいかつ文化ぶんか●1352(正平7)
花ノ木の光蔵寺に、この紀年銘の釈迦板碑がある
●1361(康安元)
市場祭文が作成され、これにかうのす市がみえる

●1549(天文18)
ザビエル、キリスト教を日本へ伝える
安土・桃山時代
政治せいじ●1586(天正14)
秀吉、太政大臣となる

豊臣秀吉とよとみひでよし



●1590(天正18)
秀吉、小田原城を攻略、家康が江戸城に入る

徳川家康とくがわいえやす

社会しゃかい●1582(天正10)
明智光秀、本能寺で信長を討つ
(本能寺の変)
●1590(天正18)
この年、東間村・上下深井村・上下宮内村・本宿村・山中村・古市場村・上下中村村・花野木村・別所村が天領に、石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村・高尾村・荒井村・荒井村枝郷北袋村が牧野讃岐守康成の知行地となる
●1596~1645(慶長年中)
このころ、本宿村に宿駅があったが、その後市宿新田(現鴻巣市)に移すという
●1600(慶長5)
関ヶ原の戦い
生活せいかつ文化ぶんか●1591(正平19)
寿命院は、徳川家康より足立郡鴻巣郷内十石の朱印状を賜る
江戸時代
政治せいじ●1603(慶長8)
家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く

●1639(寛永16)
鎖国が完成する
●1645(正保2)
伊奈忠勝が代官になる
●1687(貞享4)
生類憐みの令が出される
●1694(元禄7)
中山道の各宿に助郷村を指定する
●1727(享保12)
荒井村・高尾村・石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村5か村入会秣場が検知される

●1853(嘉永6)
ペリーが来航する
●1858(安政5)
米・英・仏・蘭・露の5か国と修好通商条約を結ぶ
●1867(慶応4)
大政奉還
王政復古の大号令
社会しゃかい●1612(慶長17)
家康が鴻巣に泊まり、鷹狩りをする
このころ家康はたびたび鴻巣付近で鷹狩りを行った
●1629(寛永6)
荒川の付け替えが行われる

●1690(元禄3)
関東八か国御城米運賃改帳に高尾河岸の名がみえる
●元禄年間
このころまでに下石戸村が、下石戸上村・下石戸下村となり、東間新田が東間村になる
●1719(享保4)
この年の高尾河岸問屋御城米請負証文がある
●1764(明和元)
伝馬騒動が起こる
●1783(天明3)
浅間山の大噴火
●1832(天保3)
天保の飢饉始まる
●1836(天保7)
全国的に冷害、大凶作となる
●1837(天保8)
大塩平八郎の乱
●1855(安政2)
紅花の自由売買を願う嘆願書が足立郡埼玉郡38か村から出される
●1861(文久元)
和宮下向につき中山道本庄宿から桶川宿までの各宿駅と助郷村々に街道整備の触書が出される
生活せいかつ文化ぶんか
●1644~1646(天保年中)
正保絵図に石戸町の名がみえ、その付近にお茶屋跡が載る
●1702(元禄15)
この年創設の足立坂東三十三か所観音霊場に中丸の観音院他四か所が組み込まれる


●1806(文化3)
中山道筋に本宿下茶屋立場と三軒茶屋立場の名がある
●1818(文化15)
荒井村井岷江が「いろいろのことおもひ出す桜かな」の芭蕉句碑を建立する
●1819(文政2)
渡辺崋山が蒲桜の写生と調査のため石戸宿を訪れる

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