社会3 (文化財・神社仏閣・石仏など)
「社会3」は、神社仏閣と所蔵品などの文化財を中心に、古民家や庚申塚、あるいは古文書など、市域に残る文化遺産を対象とした分野です。
「社会1 歴史」、「社会2 生活」とも関連するものも少なくありません。
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北本の文化財 北本市の国指定、県指定、市指定の文化財について、詳細を表示しています。 |
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北本市の埋蔵文化財 本書は、埼玉県北本市における埋蔵文化財に関する調査報告である。高尾河岸出土の独木舟は、偶然の発見による発掘調査であったが、それ以外は、北本町教育委員会が昭和44年度から45年度にかけて実施した埋蔵文化財調査の成果である。(本書「凡例」より引用) |
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北本の石仏 本集は、北本市文化財保護委員会が、昭和44年に実施した「路傍の石仏緊急調査」を要約、編集したものである。 (本書「例言」より引用) |
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北本の絵馬 市内には多くの絵馬がある。 このことは絵馬奉納の習俗が一般的にみられていたことを示すものである。 絵馬の起源については、「生馬の殉葬」、「神馬献上」「馬形献上」など、いろいろ論じられているが、神馬を献上できない者が、その代わりに馬を描いた簡単な板絵を奉納したのが始まりではないか、との説が有力である。しかし、いずれにせよ後世になると、馬の絵馬のほかに、いろいろな絵馬が登場してきた。 (本書より一部抜粋) |
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北本の民家 大宮台地の北部に位置する純農村として、麦類、さつまいも、おかぼ、まゆを主産とする畑中心の農業が営まれ、平地林もかなり広がっていました。それが、現在は急速に住宅の街に変身しようとしています。(略) このような情勢に対して、県では、昭和44年民家の緊急調査を実施しました。本市でもこれに呼応して、調査を並行しました。本集は、このときの調査資料をもとにまとめたものであります。(本書「序」より引用) ただいま準備中です。しばらくお待ちください。 |
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北本の仏像 大宮台地のほぼ中央に位置し、遠く縄文時代の太古の人々の住居跡等の遺跡が散在する歴史の古い当市でには、古いむかしに建立された立派な本堂や鐘楼を山門や土塀でめぐらし、広大な墓地を有する由緒ある古刹や、かつては寺院として栄えましたが、(略) そして、その扉を開きますと、内陣の奥深くには、或いは温顔の釈迦如来や阿弥陀如来、或いは慈顔の弥勒菩薩や十一面観音、そして或いは激しい怒に燃える忿怒相の不動明王、さらには帝釈天、風神、雷神、十六羅漢など様々な仏像が安置され、神秘的な世界を形成しています。 (本書「序」より引用) |
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北本の神社 神社は地域の氏子の信仰の対象として魂の寄り集まる所であり、心の拠り所として精神生活の中心的役割を果たしてきました。また、神社の境内内の建造物は申すに及ばず、神木はもとより一木一草にいたるまで信仰上の所産であり、神社に奉納される様々の神事とともに、神社の沿革や人々の信仰心の推移を物語る文化的・学術的に価値の高い文化財であり、神社は優れた有形・無形の文化財の宝庫でありました。 (本書「序」より引用) |
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北本の板碑 もとより板碑は中世民衆の厚い信仰心にささえられて建立されたものであります。 今回の調査で当市には、二四二基が発見され、中でも完全な形で現存しているものが四八基、一部欠損が四一基とその数の多いことには、おどろかされました。 このように当市にも多くの板碑が建立されたのは先人の信仰度とその層の厚さ、更には石材である緑泥片岩を産出する秩父、都幾川方面から搬出するに利用された二つの大きな河川があったからだと思われます。(本書「序」より引用) ただいま準備中です。しばらくお待ちください。 |
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北本地名誌 地名は「歴史の化石」ともいわれ、私たち の祖先が数千年にわたり連綿として引き継い で来た貴重な文化遺産であり、日本全国でそ の数はおよそ1000万以上といわれます。 民俗学者柳田国男は、その著『地名の研究』 において、地名を「利用地名」、「占有地名」、 「分割地名」の三つに分類していますが、こ れらの発生には人間の意志が大きく働いてい ると説いています。(本書「序」より引用) |
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デーノタメ遺跡 北本市埋蔵文化財調査報告書 第21集 -久保特定土地区画整理事業関係埋蔵文化財発掘調査概要報告書- 平成12年度に発掘調査が開始されたデーノタメ遺跡は、平成19-20年度の第4次調査によって、全国でも珍しい縄文時代中期の低湿地遺跡として広く知られるところとなりました。 (本書「序」より引用) ただいま準備中です。しばらくお待ちください。 |