雑木林のあるまち 産業
5.石戸トマト
生のままのトマトは、宣伝文句の入った包装紙に包まれ、また缶詰(かんづめ)、瓶詰(びんづめ)はトマトクリームと大きく書かれた木箱に入れられて、日本国中に出荷された。トマト製品の宣伝には、当時流行していた絵ハガキを作ったり、子供にも歌えるトマト小唄(こうた)を作ってその名を広めたとされている。
トマトの畑 (昭和2年ころ)
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石戸村農友会が、大正14年にトマ卜の種子をとるために栽培(さいばい)したのが石戸トマトの最初である。トマトの種子だけでなく、果肉も生かそうと昭和2年に石戸トマトクリーム販売組合を設立し、石戸トマト工場が建設された。
トマト工場 下石戸下 (昭和2年)
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トマトの洗浄 (昭和2年ころ)
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釜から流れ出るトマトクリーム (昭和2年ころ)
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トマト製品の出荷 (昭和2年ころ)
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下石戸下には石戸トマト工場があった。収穫(しゅうかく)されたトマトは、品質の高いものはそのまま出荷(しゅっか)され、傷ついたものなどはトマト工場の巨大(きょだい)な真空缶(しんくうかん)で加工され、トマトクリームや卜マトケチャップ、トマトピクルスとして瓶(びん)や缶(かん)に詰められて出荷された。
荒川でトマトの種子取り 石戸宿か(大正14年ころ)
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生のトマトの包装紙 (昭和2年ころ)
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