北本のむかしばなし 歴史や昔のようすをつたえる話

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北本宿駅きたもとじゅくえきとサツマイモ

北本に、はじめて駅ができたのは、昭和三年八月一日です。そのころの駅の名は、北本宿駅きたもとじゅくえきといいました。
高崎線たかさきせんが開通して、となりの鴻巣や桶川に駅ができたのが明治めいじ十六年のことですから、四五年もおくれてできたのです。それまで北本の人は、鴻巣駅か桶川駅に行かないと汽車に乗れませんでした。
駅ができてから、昭和十年ころまで、北本宿駅で乗りおりする人は、一日二〇〇人ほどでした。駅は一日中、がらんとしてしずかでした。ところが、サツマイモの出荷しゅっかの時期になると、にわかに活気づきました。
サツマイモのしゅうかくが始まる秋の彼岸ひがんころから十月のすえにかけて、北本宿駅はまるでサツマイモを運びだすためにつくられたようでした。夕方になると村中から、たわらにつめたサツマイモを荷車に六ぴょうくらいつんで、 農家の人たちが、ぞくぞくと集まってきます。駅前には、鴻巣から来た 三軒さんげんのサツマイモ問屋どんや事務所じむしょがおかれていました。問屋は、サツマイモを買い取り、東北地方をはじめとして各地かくちへ出荷していました。
一番多い日には、一五トンづみの貨車かしゃで四〇両以上りょういじょうものサツマイモが出荷されました。それもそのはずです。当時、関東かんとう一の川越かわごえいもとして知られたサツマイモの多くは、北本で取れたいもだったそうです。

北本では、駅の西がわは、アカド口といわれる軽い土の畑が多く、冬には強いからっ風をうけて麦類むぎるいもおもうように作れませんでした。 そこで、夏作のサツマイモ生産せいさん に力を入れ、北本宿駅きたもとじゅくえきがつくられる前から、鴻巣の問屋に大量たいりょうのサツマイモを売りこんでいたのです。

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