北本市史 通史編 古代・中世

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第6章 後北条氏の武蔵進出と岩付領

第1節 太田氏の登場と岩付城

太田道真・道灌の活動
以上述べてきたように、太田道真・道灌父子は、享徳の乱の後、扇谷上杉持朝と協力してしだいに権力を確立していった。さらに応仁(おうにん)元年(一四六七)九月七日には上杉氏の中心になっていた扇谷上杉持朝も死去したため、必然的に太田父子の政治的立場は上昇することになる。この前後を境として、太田父子の関東および武蔵支配を伝える文書も散見されるようになる(「内宮引付」、「黄梅院文書」)。それらによると、文明年間(一四六九~八七)には太田父子が実質上、伊勢神宮の東国における造内宮料等の課役賦課を督促したり、武蔵国における寺領を保障する立場にたっていた。それは、扇谷上杉持朝が死去してまもなくのことであり、持朝にかわって上杉氏の権力を掌握したことがうかがえる。

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