北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

建武元年(一三三四)四月十日
足利直義は、勲功の賞として足立郡大谷郷地頭職を三浦時継に宛て行う。

116 足利直義下知状 〔宇都宮文書〕(1)
可令早三浦介時継法師(2)法名道海領知武蔵国大谷郷(3)下野右近大夫将監(4)(5)・相模国河内郷(6)渋谷遠江権守(7)跡地頭職事
右、為勲功賞(8)所宛行也者、早守先例可令領掌之状、依仰(9)下知如件
 建武元年四月十日
      左馬頭源朝臣(10)(花押)
〔読み下し〕
116 早く三浦介時継法師法名道海をして領知せしむべき、武蔵国大谷郷下野右近大夫将監跡・相模国河内郷渋谷遠江権守跡地頭職のこと
右、勲功の賞として宛て行うところなりてえれば、早く先例を守り領掌せしむべきの状、仰せによって下知件の如し
〔注〕
(1)茨城県真壁郡田村 小田部庄衛門氏蔵
(2)三浦時明の子で、中先代(なかせんだい)の乱のさい、北条仲時に味方して足利氏と戦ったが敗れて捕らえられ、京都の六条河原で処刑された。
(3)上尾市大谷本郷のあたり
(4)このように姓を記さず官途名(かんとめい)(官職名)のみの場合、他の事例からして北条氏の一族である可能性が高い。
(5)あと。持ち主の確定しない土地のこと
(6)神奈川県平塚市河内のあたり
(7)北条得宗の被官であった渋谷遠江守重光(『若狭国(わかさのくに)今富(いまとみ)名領主(みょうりょうしゅ)次第(しだい)』など)
(8)建武元年三月に起きた本間・渋谷氏らの反乱鎮圧に関する恩賞
(9)鎌倉親王府の代表である成良(しげよし)親王(後醍醐天皇の皇子)の命令
(10)足利尊氏の弟 直義
〔解 説〕
この史料は、足利直義が成良親王の命令をうけて、三浦時継(法名道海)に足立郡大谷郷地頭職などを恩賞として給与するというものである。
三浦時継は、相模に勢力をもつ三浦氏の惣領の地位にあった人物で、鎌倉幕府滅亡に関してもその功績は大であった。その時継が本間・渋谷氏らの反乱にさいして軍忠をした結果、今回の所領給与になったと思われる。
当時の鎌倉親王府の政治は、幼少の成良親王に代わって直義がとり行っていた。そのさい直義は、北条氏の例にならって「下知状(げちじょう)」という形式の文書を用いている。この形式の文書は、北条氏の場合は将軍に代わり権力を行使できる一方法として使用したものであった。政治面において鎌倉親王府の実権を握っていた直義は、北条氏の例にならい、北条氏が用いたのと同様の文書形式を採用し、事に対応したものと思われる。

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