北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

建武二年(一三三五)頃か
足利尊氏・同直義の所領目録が作成され、尊氏領として、足立郡が見える。

118 足利尊氏・同直義所領目録 〔比志島文書〕(1)
   足利殿(2)
□□(伊勢)国柳御厨泰家跡尾張国玉江庄貞直跡
遠江国池田庄泰家駿河国泉庄同
同国佐野庄貞直伊豆国仁科同
伊豆国宇久須郷同相模国糟屋庄同
同国田村郷同同国治須(沼浜カ)郷同
武蔵久良郡同国足立郡泰家(3)
同国麻生郷時顕三河国重原庄貞直
小山辺庄守時同二宮庄
常陸国田中庄泰家同国北郡大方禅尼
近江国池田庄同国岸下御厨泰家
信乃国小泉庄奥州外浜同
同国糠部郡同上田庄同
佐渡国六斗郷同筑前国同
豊前国門司関同肥後国健軍社
日向国富庄同同島津庄守時
左馬頭(4)殿
相模国絃間郷貞直同国懐島同
伊豆奈古谷口(同カ)武蔵国赤塚(5)
常陸国那河(珂カ)東維貞遠江国谷和郷同
同国宇狩郷同同国下西郷
伊与国久米良郷同
近江国広瀬庄貞直備後国高野
播广(磨)国垂水郷備後国城山
佐渡国羽持郡同同国吉岡同跡
〔読み下し〕
118 略
〔注〕
(1)鹿児島県 比志島彦磨氏蔵
(2)足利尊氏
(3)北条泰家 北条高時の弟であり、鎌倉幕府の滅亡後、時興と改名し北条氏の再興をはかったが、足利氏に捕えられ処刑された。
(4)足利直義
(5)東京都板橋区内の地
〔解 説〕
この史料は、建武政権の成立に大きな勲功をあげた足利尊氏・直義兄弟に、後醍醐天皇が恩賞として給与した所領の書き上げである。いつ書かれたかは不明であるが、直義が左馬頭に任官していたのは、元弘三年六月十二日から建武二年十一月二十七日までであることから、その間で作られたものと思われる。史料によれば、尊氏は全国三〇か所、直義は一五か所、合計四五か所を給与されている。もとの所有者は、北条泰家、大仏貞直、甘縄(あまなわ)時顕、赤橋守時らであり、いずれも北条氏の一族で、当時の幕府の有力者たちばかりであった。北条氏の嫡流であった得宗(とくそう)家は、多くの所領を有していたが、そのいずれもが経済・軍事などの面で重要な所領が多かった。史料にみえる久良(くら)郡(神奈川県横浜市内)、沼浜(ぬはま)郷(神奈川県逗子市と同県三浦郡葉山町にまたがる地)、絃間(つるま)郷(神奈川県大和市と相模原市にまたがる地)、懷島(ふところじま)(神奈川県茅ケ崎市)などは、鎌倉周辺に点在し、いずれも軍事上の拠点であり、また足立郡も北条氏による武蔵国支配の重要拠点であった。
当時の所領給与は、本人から申請にもとづいて行われていたことを想起すると、尊氏は政治・軍事など東国支配の中心である鎌倉のより一層の安定強化をねらって右の所領を得たものと思われる。

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