北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

天文二十年(一五五一)九月一日
後北条氏は、足立郡市宿新田の小池長門守に、新田開発を命じる。

174 北条家印判状写(折紙) 〔武州文書(1)〕
    定
右、当新田罷出輩、諸役御免許被成候、弥入精、田畠令開発者、夫食被下者也、仍如件

   天文廿年辛亥
     九月朔日
     市宿新田
       小池長門守屋敷

〔読み下し〕
174  定
右、当新田罷り出づる輩(ともがら)、諸役御免許成られ候、いよいよ精を入れ、田畠開発せしめば、夫食下さるものなり、よって件の如し
〔注〕
(1)文化七年(一八一〇)に起稿され、天保元年(一八三〇)に幕府に上呈された、武蔵国の地理書の『新編武蔵風土記稿』を編纂するために蒐集した、同国の古文書集で、内閣文庫所蔵
〔解 説〕
本史料は、後北条氏が足立郡市宿新田の小池長門守に田畠開発を命じたものである。新田の開発に当たる百姓の諸役を免除し、人夫食糧を与えることを約束している。こうして、長門守の指揮の下に在村の百姓を動員して、後北条氏は新田開発を実施しようとしたのである。さて、本史料の原本は、足立郡鴻巣宿(鴻巣市本町)の旧家三大夫(小池氏)所蔵のものであった。同家は同宿本陣を勤め、小池長門守の子孫である。また、鴻巣宿は、慶長七年(一六〇二)、本市域の本宿(旧本宿村)から、現在地(市宿新田)に移った。したがって、本史料の「市宿新田」は近世の中山道鴻巣宿(鴻巣市本町)で、小池長門守はこの地の開発者である。この時期には岩付領内に直接、後北条氏の開発の手が伸びていたことが分る。

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